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電気通信大学藤沢分校物語(10)5

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通常 電気通信大学藤沢分校物語(10)5

msg# 1.13.4
depth:
2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/12/29 16:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 湘南遊歩道の建設(注1101)
                 
 「神奈川県が気候温暖、風光明媚をうたい文句に神奈川県湘南海岸公園計画を立案して、東京の緑地地帯としての湘南の地域開発に取り組んだのは、昭和初期のことである。その構想の中心事業となったのが湘南遊歩道であった。
 この道路は、片瀬龍口寺から大磯町郵便局に至る延長16・7キロで、車道(幅12m)のほかに、乗馬道(幅7.5m)を設け、両側に歩道と植樹帯を設置するという本格的な「逍遥道」であった。
 道路は昭和5年に着工され、昭和11年に相模川の湘南大橋の完成によって全面開通し、海岸地域の開発の動脈として機能していくこととなった。

 さらに神奈川県は昭和9年に湘南海岸一帯の総合的な都市計画を樹立した。計画は①仏都鎌倉を中心とした国際観光都市の建設、②藤沢以西に広がる湘南海岸公園の建設、③大磯丘陵の高麗山公園の建設の3本柱からなっていた。
 藤沢町もこの計画の一環として、都市計画法の適用を受けることとなり、保養都市の保存と観光施設の整備などに力を入れた。昭和11年に至り、4年後のオリンピックの東京開催が決定すると、海岸地帯には外人客目当てのホテルの建設ラッシュとなった。選手村の招致や、湘南遊歩道の舗装、県営プールの建設なども計画され、海岸地帯は開発に湧いたのである。」
 その湘南遊歩道は藤沢分教場に面していた。

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