電気通信大学藤沢分校物語 (8) 4
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電気通信大学藤沢分校物語 (編集者, 2015/2/13 12:19)
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編集者
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8・4 海軍演習の状況(明治・大正)(注84)
1909年 (明42)、川口村村長は、片瀬から鵠沼海岸の西浜に通じる境川筋の 「山本橋の整備」に関し提出した県知事宛の請願書(『町村会議案及び決議書』 川口村役場文書)の中で同橋は架設以来、横須賀鎮守府の海兵団(軍艦乗務の補充員と軍港警備員) などが辻堂演習所へ至る通路に当たり、毎年士官・水兵多数が数十回通行するなどその軍事的重要性を述べている。
第8-2表は1902年(明35) の1年間に、辻堂海岸において実施された射撃演習の状況を集計した表である。史料はこの年に関して記録されているに過ぎないが、年間を通じて同演習場を利用した官庁は、横須賀鎮守府所属の海兵団・水雷団の他に、砲術練習所・水雷術練習所があり、また軍艦の実弾射撃訓練も実施された。
ここに登場する軍艦は一等巡洋艦9,700トン級の大型から二等砲艦の600トン級の小型まで多様な形式がみられるが、何れも横須賀鎮守府所属の艦隊のみならず、呉、佐世保、舞鶴各鎮守府に配属のものまで含まれ平時編成に於
ける常備艦隊の一部であった。
同表はまた、射撃演習が湘南海岸の海水浴の季節7・8両月を避けて12・1月の冬季に集中し、毎月繰り返されていた中でも、この2ケ月に年間度数の約半分が集まっていた。こうした射撃演習は同年のみに留まらず、殆ど毎年実施されていた事は疑いない。