電気通信大学藤沢分校物語 (5)
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電気通信大学藤沢分校物語 (編集者, 2015/2/13 12:19)
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編集者
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4.3
藤沢市会に於ける逓信省説明の真意前号まで 2回にわたり藤沢市「官立無線電信講習所新設費起債」の議事録を紹介した。議事録には、逓信省の説明に誤りがあり、また読者からの同様なご指摘により、その都度ト正したが単純なミスとは考えられないので本号で検証する。ミスの箇所とは「現有の逓信協会の目黒講習所の設備を移管する」「一切を逓信協会から移す」(注 51)のくだりで、何故電信協会を逓信協会と発言したのかの疑問がある。更に新たに指摘するのは「元の逓信大臣田健次郎閣下がやっておられる東京目黒の無線講習所が」のくだりで(注 52)、何故、田健次郎を若宮貞夫としなかったのかの 2箇所である。尚、文中の氏名敬称は略させていただいた。
1942年(昭 17) 3月に行われた主な進捗経過を下表に示す。
3月 26日の藤沢市会での逓信省発言の疑問箇所は、他の資料とは全く整合性が無くむしろその違いの大きさは奇異にさえ感じられる。各資料が示すように電信協会を中心に進んでいた官立移管が突如 3月 26日だけ逓信協会に変わり、 3月 28日には再び電信協会に戻るのである。これは何故か?
結論から云うと「逓信協会」を「電信協会」に、「元の逓信大臣田健次郎閣下」を「元の逓信次官若宮貞夫電信協会会長」に訂正するのが妥当であろう。
1)第 1の疑問:前号で説明の通り「逓信協会は」は「電信協会」が正しい。
2)第 2の疑--------------------------------------------------------------------1930年(昭5)に死去しており、 1918年(大7)から 1942年(昭17)の移管まで経営をしていた貞夫が最大の功労者である事は多くの資料で明白である。
「若宮貞夫先生の追憶」(注 53)の中で「大東亜戦争の勃発により、俄に無線電信講習所の官立移管機運が高まり昭和 17年 1月に至り電信協会の若宮会長の内諾を得て官立無線電信講習所の経費が追加予算に計上され閣議決定された」と宮本吉夫氏は述べている。その経過を充分に承知している筈の担当の、隅野無線課長、事務官が計 3度も逓信協会と発言した事は単なるミスとは考えられない。又、議会書記のミスとも考え難い。
それではどのような理由があったのだろうか?
私はその謎を次のように推定する。その疑問を解く鍵は電信協会会員総会の開催日、即ち「講習所設備一切の寄付」の決議が行われる 3月 28日にある。即ち、 26日に講習所の財産を説明する藤沢市会では、「寄付の決議」は 2日後になるため、「逓信省に電信協イから財産が寄付された」との公表は出来ないとし、やむなく逓信省に関係の深い「逓信協会」、「田男爵」の名を使っての苦しい説明にせざるを得なかったのではないか?私には、今、確たる資料がないので断定は出来ないが、恐らく「寄付未決の対処策」であったと推定する。
4月 1日開所に向けての準備段階の時間の不足が最大の原因であり、更に後年、藤沢市会々議事録が、一般公開される事も想定外であったので、このような説明を考えたと思われる。ところで、総会が 28日に設定された経過は不明である。尚、電通大 60年史には財産寄付問題に関して興味深い事が語られている。「官立に移管する時、財産をどうするか問題になった事がある。当然電信協会は解散する手筈になっていたが、当時の隅野無線課長からか、それとも他の誰かが若宮会長に話されたのか不明であるが、一説によると無線同窓会を社団法人に改組して協会所有の無線講習所の土地並びに建物一切を継承させ、その土地と建物を逓信省が借り受け、賃借料を無線同窓会に支払い、その金で生徒の寄宿舎や食堂などを経営させてはどうかという事であったが、この案は残念と云うべきか実現しなかった。当時の金額で約 160万円であった--------------------- 年月日主 題関 係 部 署会報No、資料(出典)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1942年(昭17)3月の官立移管のための主な進捗経過
(以下、上段より「年月日」「関係部署」「会報No.資料(出典)」)
3月19日
講習所設立に関する件
逓信大臣→若宮電信協会会長
vol. 23-2、目黒無線同窓会誌
無線通信士養成事業の経営を、昭和 17年度より実施するので貴会講習所設備の移管をお願いしたい。
3月23日
逓信大臣講習所視察
逓信省、講習所電信協會 50年史
講習所発展の経過、教育方針、現況の概要説明、校舎の案内、無線電信実験室の設備、通信術練習及び授業の実況等の現場説明を受けた。生徒全員に対し訓示した。
3月24日
校舎等借入の依頼
逓信省電務局長→藤沢市長
vol. 23-2、官立新営関係書類
無線通信士養成事業の実施に当たり校舎、寄宿舎は借入に依るとの方針で、昭マ 17年度予算が成立した。
政府は、藤沢市に校舎等新営の依頼をして、政府に貸与方のお願いをした。
3月26日
官立無線講新設の起債
藤沢市会
Vol. 24-1、藤澤市會々議録
逓信省の説明①教育其の他一切を逓信協会から本省に移す。②若宮会長については一 -----------------------------
3月28日
設備寄付の決議
電信協会臨時総会
Vol. 23-2、電信協會 50年史
電信協会はこの目的のために政府が使用する事は本懐とする所で設備一切を寄付する事を決議した。
同上
感謝状の授与
逓信大臣→若宮会長及び両理事
Vol. 25-1、電信協會 50年史
無線通信士の養成事業に対する功績洵に大なり。社団法人電信協会管理無線講習所を政府へ移譲せられるに際して、多年の功労に対し深甚なる感謝の意を表す。
4月1日
官立無線講業務開始
中村所長事務取扱い
電気通信大学 60年史
藤沢市会に於ける逓信省説明の真意前号まで 2回にわたり藤沢市「官立無線電信講習所新設費起債」の議事録を紹介した。議事録には、逓信省の説明に誤りがあり、また読者からの同様なご指摘により、その都度ト正したが単純なミスとは考えられないので本号で検証する。ミスの箇所とは「現有の逓信協会の目黒講習所の設備を移管する」「一切を逓信協会から移す」(注 51)のくだりで、何故電信協会を逓信協会と発言したのかの疑問がある。更に新たに指摘するのは「元の逓信大臣田健次郎閣下がやっておられる東京目黒の無線講習所が」のくだりで(注 52)、何故、田健次郎を若宮貞夫としなかったのかの 2箇所である。尚、文中の氏名敬称は略させていただいた。
1942年(昭 17) 3月に行われた主な進捗経過を下表に示す。
3月 26日の藤沢市会での逓信省発言の疑問箇所は、他の資料とは全く整合性が無くむしろその違いの大きさは奇異にさえ感じられる。各資料が示すように電信協会を中心に進んでいた官立移管が突如 3月 26日だけ逓信協会に変わり、 3月 28日には再び電信協会に戻るのである。これは何故か?
結論から云うと「逓信協会」を「電信協会」に、「元の逓信大臣田健次郎閣下」を「元の逓信次官若宮貞夫電信協会会長」に訂正するのが妥当であろう。
1)第 1の疑問:前号で説明の通り「逓信協会は」は「電信協会」が正しい。
2)第 2の疑--------------------------------------------------------------------1930年(昭5)に死去しており、 1918年(大7)から 1942年(昭17)の移管まで経営をしていた貞夫が最大の功労者である事は多くの資料で明白である。
「若宮貞夫先生の追憶」(注 53)の中で「大東亜戦争の勃発により、俄に無線電信講習所の官立移管機運が高まり昭和 17年 1月に至り電信協会の若宮会長の内諾を得て官立無線電信講習所の経費が追加予算に計上され閣議決定された」と宮本吉夫氏は述べている。その経過を充分に承知している筈の担当の、隅野無線課長、事務官が計 3度も逓信協会と発言した事は単なるミスとは考えられない。又、議会書記のミスとも考え難い。
それではどのような理由があったのだろうか?
私はその謎を次のように推定する。その疑問を解く鍵は電信協会会員総会の開催日、即ち「講習所設備一切の寄付」の決議が行われる 3月 28日にある。即ち、 26日に講習所の財産を説明する藤沢市会では、「寄付の決議」は 2日後になるため、「逓信省に電信協イから財産が寄付された」との公表は出来ないとし、やむなく逓信省に関係の深い「逓信協会」、「田男爵」の名を使っての苦しい説明にせざるを得なかったのではないか?私には、今、確たる資料がないので断定は出来ないが、恐らく「寄付未決の対処策」であったと推定する。
4月 1日開所に向けての準備段階の時間の不足が最大の原因であり、更に後年、藤沢市会々議事録が、一般公開される事も想定外であったので、このような説明を考えたと思われる。ところで、総会が 28日に設定された経過は不明である。尚、電通大 60年史には財産寄付問題に関して興味深い事が語られている。「官立に移管する時、財産をどうするか問題になった事がある。当然電信協会は解散する手筈になっていたが、当時の隅野無線課長からか、それとも他の誰かが若宮会長に話されたのか不明であるが、一説によると無線同窓会を社団法人に改組して協会所有の無線講習所の土地並びに建物一切を継承させ、その土地と建物を逓信省が借り受け、賃借料を無線同窓会に支払い、その金で生徒の寄宿舎や食堂などを経営させてはどうかという事であったが、この案は残念と云うべきか実現しなかった。当時の金額で約 160万円であった--------------------- 年月日主 題関 係 部 署会報No、資料(出典)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1942年(昭17)3月の官立移管のための主な進捗経過
(以下、上段より「年月日」「関係部署」「会報No.資料(出典)」)
3月19日
講習所設立に関する件
逓信大臣→若宮電信協会会長
vol. 23-2、目黒無線同窓会誌
無線通信士養成事業の経営を、昭和 17年度より実施するので貴会講習所設備の移管をお願いしたい。
3月23日
逓信大臣講習所視察
逓信省、講習所電信協會 50年史
講習所発展の経過、教育方針、現況の概要説明、校舎の案内、無線電信実験室の設備、通信術練習及び授業の実況等の現場説明を受けた。生徒全員に対し訓示した。
3月24日
校舎等借入の依頼
逓信省電務局長→藤沢市長
vol. 23-2、官立新営関係書類
無線通信士養成事業の実施に当たり校舎、寄宿舎は借入に依るとの方針で、昭マ 17年度予算が成立した。
政府は、藤沢市に校舎等新営の依頼をして、政府に貸与方のお願いをした。
3月26日
官立無線講新設の起債
藤沢市会
Vol. 24-1、藤澤市會々議録
逓信省の説明①教育其の他一切を逓信協会から本省に移す。②若宮会長については一 -----------------------------
3月28日
設備寄付の決議
電信協会臨時総会
Vol. 23-2、電信協會 50年史
電信協会はこの目的のために政府が使用する事は本懐とする所で設備一切を寄付する事を決議した。
同上
感謝状の授与
逓信大臣→若宮会長及び両理事
Vol. 25-1、電信協會 50年史
無線通信士の養成事業に対する功績洵に大なり。社団法人電信協会管理無線講習所を政府へ移譲せられるに際して、多年の功労に対し深甚なる感謝の意を表す。
4月1日
官立無線講業務開始
中村所長事務取扱い
電気通信大学 60年史