電気通信大学藤沢分校物語 (7) 3
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電気通信大学藤沢分校物語 (編集者, 2015/2/13 12:19)
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電気通信大学藤沢分校物語 (7) (編集者, 2015/2/13 15:07)
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編集者
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7・2・2 鉄砲場(注77)
1)運営:幕府鉄砲方、藤沢宿代官所と地元の村々の名主から任命された鉄炮場見廻役(地元住民)で運営。見廻役は勘定奉行配下ながら代官の直接支配を受け苗字帯刀を許されていた。
2)演習頻度:
*1728~1748年:毎年の演習
*1750~1774年:隔年の演習
*1775年以降:最低隔年の演習
3)演習期間:
*7組に分かれ、各組16~25日間、4月上旬~7月中旬に断続的に実施。
*江戸から参加する役人は往復各2日間を加えて、20日から1ヶ月間の出張となる。
*風雨の日は順延。秋口まで行うこともある。
4)演習内容:4種類の演習がされた。
‐1町打:遠距離射撃訓練。辻堂海岸に発射場及び打小屋を置いた。射撃目標は柳島の海岸、大筒稽古は烏帽子岩も標的とした。
‐2角打:近距離射撃訓練。平場の鵠沼海岸で行う。打場から一町(約109m)毎に定杭を打ち発射の度に着弾地点を特定し、飛弾距離を測定。
‐3船打:船上射撃訓練。地元の漁船小舟3隻と300石船一艘を借り、船上から射撃訓練をした。
‐4下ケ矢(さげがや):高所から下方へ打つ訓練。片瀬村駒立山から下方に打ちおろした。
7・3 江川太郎左衛門(注78‐1)
江川太郎左衛門家は平安時代以来明治維新に至るまで38代続いた名家である。平安末期に伊豆に移住し、源頼朝の挙兵を助けたために領域支配が確定した。1590年(天正18)、豊臣秀吉による小田原征伐の際に、江川家28代英長は寝返って徳川家康に従い、代官に任ぜられた。以降江川家は、1723(享保8)~1758年(宝暦8)の間を除き、明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領五万四千石(後二十六万石)の代官とし、民政に当たった。