電気通信大学藤沢分校物語 (8)
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明治維新により、鉄砲場は辻堂海岸と茅ヶ崎市の一部を日本海軍横須賀海軍砲術学校辻堂演習場として、近代日本海軍に引継がれた。近代化を進める日本は、藤沢市をも軍港横須賀との結合を前提に形成された軍事都市としての機能を持たせるのである。
8・1明治維新(注81)
明治維新とは明治政府による天皇親政体制の転換とそれにともなう一連の改革をいう。
その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐におよび日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させた。
近代国家建設を推進するためには、「富国強兵」「殖産興業」をスローガンに中央集権化に依る政府の地方支配強化は、是非共必要な事であった。
そこで改革を全国的に網羅する必要がある事から1871年(明4)廃藩置県が実施された。1870年(明3)に徴兵規則が作られ、廃藩により兵部省が全国の軍事力を握る事となり、1872年(明5)には徴兵令が施行され、陸軍省と海軍省が設置される。こうして近代的な常備軍が創設された。
8・2幕営横須賀造船所と辻堂の鉄砲場(注82)
横須賀は、幕末期の慶応改革の一環として、フランスの援助の下に巨費を投じて、造船場が建設されて幕営軍事工場の中心地になると共に、また幕府海軍の根拠地になった。フランス人技師約40名の助力に依って、既に構築中であった幕営長崎造船所を上回る最大の造船施設の着工を開始した、その背後には、対長州戦争に於ける敗北の痛手を、軍事力の強化によって乗切ろうとする幕府の権力再編の意図があった。フランス人技師は、横須賀湾が本国のツーロン軍港に似ている所から同湾を選び、幕府に協力した。幕末期には敷地の築造、工場・住居・船渠などの建設が進んだが、造船のうえでは幕府軍事力の補強に殆ど役に立たず、幕府の倒壊と共に同造船工場は新政府に接収された(『横須賀海軍船廠史』第一巻)。鉄砲場は幕末期の異国船来航以後、更に重要な意味をもち地元農民に認められてきた慣行や既得権さえ無視されるかたちで、軍事的利用が優先されていった。