鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 4
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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秋津丸遭難から救助されるまで その2 間橋国司
脱出してからどの位時間が経ったであろうか、漸く辿り着いたボートに救助を求めたが断られてしまった。既に相当数の人員が乗っていたためである。そして次ボートに向かって泳ぎだして間もなく「あまがえる」(注陸軍船舶隊が使用した特攻艇) の乗員にやっと引きずり上げて貰った。私は嬉し涙が頬を伝わった。「これで助かったんだ」と自分に言い聞かせながら何度もお礼を言った。今までの張りつめていた気持ちが「助かった!」という安心感からか、冷え切った身体に濡れた衣服が氷のように感じる。他の4人の手を借りながら脱いだ衣服を絞ってもらい、夕日を浴びて少しずつ温かさを感じた。総勢5人になった私達はお互いに元気づけ合いながら、軍歌を歌い救助船の来るのを待った。夕日が西の空に沈みかけ辺りが薄暗くなり始めた時、遠くに駆逐艦が見えた。点々と浮遊物に捉まって漂流している将兵を助け上げていた。エンジンの音があちこちで聞こえてくる。それはボート(アマガエル)の人達が駆逐艦めがけて走る快音である。我々も此の機を逃してはと特攻乗員の軍曹が一生懸命エンジンを掛けようとするが、全然掛る気配がない。秋津丸から降ろす時、機関のマグネットが浸水して点火しないのだ。刻々と辺りは暗くなって心は焦るばかり。他の乗員も駆逐艦とエンジンを交互に睨みつけながら手の施しようがなかった。駄目だった。ついにエンジンは掛らなかった。そして、辺リー面暗くなり洋上には救助をあきらめた駆逐艦が波の彼方に消えてしまった。万事窮す。絶望感は口にこそ出さなかったが、皆の顔にありありと出ている。他の遭難者の群れも暗闇のため全く分からなくなってしまつた。
しかし、明日がある、必ず来てくれるのだ、ともかく明朝まで待つのだ、と何度も何度も励まし合う。でも良かった5人なんだ、そう思うと少しずつ気力が湧いてくる。
静かだった海は段々と荒れ模様となり、ボートの船縁をピシャピシャ叩くようになった。白波が立ち始める夜半過ぎ一層風波は高まり、船は木の葉のように高く低く、波まかせの状態になり三角波も押し寄せてきた。ボートの中にも容赦なく波が入る。水垢を一生懸命汲み出す作業は続けられる。垂れ流す小便は股間に心地よい温もりを伝える。いい気持ちだった。一人の兵隊が「兵長殿!兵長殿 休んで下さい」と若い私に言ってくれた。いやいや、その言葉に甘んじていては浸水のため転覆するかも知れないのだ。皆が頑張った。飢えと寒さから睡魔が誘う。「オイ!眠っちや駄日だ。死ぬぞ」と声を掛け、また掛けながら単純な作業は続けられる。時々ウトウトした時、故郷の父母の顔が浮かび、「しっかりするんだ!」と励ましの声が聞こえるように思われた。だが、何としても気力は徐々に弱っていく。風波は依然として凪となる様子も無く何処へともなく流されて行く。