鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 24
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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編集者
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慰霊碑等の建立
戦後、社会が落ち着きを取り戻すとともに、全国各地で、こうして散華した戦友を悼み、その事績を顕彰したいとの機運が高まり、昭和45年8月15日、村松で「戦後20周年記念の集い」が催され、5年後を目指して東京、村松両校跡に「戦没者慰霊碑」と「記念碑」を建立することを申し合わせました。
しかし、事態はそう安易には進捗せず、東京少通校跡は既に校舎は総て取り壊され、文教住宅地区に面目を一新しており、其処にこの種の施設を建設することは無理だと判断され、結果的に此処村松(村松公園内)に、45年10月、慰霊碑が建立されました。因みに、慰霊碑正面の「慰霊碑」の文字は高木正賞村松少通校長、裏面の「建立趣旨」は渡邊利興全国少通連合会長の筆になるものです。
その後、石灯籠の増設と建立文碑の設置を行い現容に至りました。なお、碑内に納められている戦没者名簿は永久保存に耐える金属板に刻字されています。
また、上記の「記念碑」についても平成16年村松町当局のご厚意により学校正門及び歩哨舎の復元が実現し、更に同23年、東京校跡も東村山市によって同市の文化財に指定され、同地にこの旨を記した銘板が立てられました。
なお、少年通信兵の慰霊碑は、この村松碑のほか、九州・平戸島の鯛の鼻自然公園に「安らかに眠り給へ 陸軍少年通信兵の霊」と記した石碑(平戸島碑)が建立されており、現在も市丸徹男氏(村松少通校・11期生)を中心とする九州地区少通関係者並びに地元ボランテア団体によって保守管理が行われ、毎年、有志による慰霊祭が営まれています。
最後に、本誌が「慰霊碑を守る会」ご関係の方々に読まれることを考慮して、では、当時、村松少通校ではどんな教育が為され、これを町民の方々が如何迎えて下さったかを、同校の精神的主柱であった高木校長のご人格に触れた岡本勝造氏(村松少通校11期生)の思い出の文章と、偶々、私(大口)が入手した町民の方に宛てた少通生の感謝の手紙を紹介させて頂きます。