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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 18

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通常 鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 18

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/11/18 8:27
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 

 (参戦記・抜粋) その3

 私は、復員後も、こうしたルソン島の密林の中で無念の最期を遂げた戦友達のことを「是非ご遺族にご報告しなければ」と、ずっと考えていましたが中々ご住所も分からぬまま徒に歳月を重ねてしまい、そのうち、今頃になってお知らせすることは、とっくに諦め忘れようと努めて来られたご遺族の幸い悲しみを、再び呼び戻すことになっては申し訳ない、と躊躇する気持ちになっていました。

 しかし、若くして異境の地で散華した戦友達の無念を思い、また、共に学んだ同期戦友達の何人かは、その死の最後を私一人が目撃、確認していることを考えた時、亡き戦友達は私の命を助けることによって、愛する故国の家族への切なる思いを私に託したかったのではなかろうか、そして、私は彼らに守られて故国の土を踏むことが出来たのだ、と気が付きました。

 そして、戦後33年という長い歳月を経過していたので、ためらいはありましたものの、思い直して両君のご遺族へ、夫々心をこめて知る限りのことをお知らせしました。一―一その時、頂いたご返書の一部は次の通りです。

 ーーーーーーーーーーーーーー

 池田鉄次郎君の弟嫁・池田千代子様より

 私は鉄次郎さんの弟の嫁でございます。この度はお忙しいところを私達の為に態々お手紙を頂き大変恐縮に存じております。こんなに詳しくご親切にお知らせ頂き、戦地は大変だったんだ、と今更ながら胸の痛む思いが致します。私は早速お姉さん達にも見せようと思います。お父さんは13年前に、お母さんは8年前に逝かれました。何時も鉄次郎さんのことを「一番偉いのが死んだ」と涙ながらに話しておられました。本当に戦地に出られた人でないと、この気持ちはわからないと思います。私等には到底想像もつきませんが、私は本家の嫁として鉄次郎お兄さんの霊を決して粗末にしてはならないと思いました。本当に有難うございました。主人も宜しく申しております。重ねて御礼申し上げます。かしこ


 小松君三君の実兄・小松弥一郎様より

 拝復お便り有難く頂戴、感動して拝読させて頂きました。私の弟は貴方という戦友の見守る中で死ぬことが出来、しかも、こうして最期の情況を家族に知らせて頂き、実に運の良い奴でした。他の即死された戦友の方々に申し訳ないような気持ちでございます。
     (中略)
 私が弟の戦死を知ったのは、北支から引き揚げてきた21年1月7日、家に到着した時でしたが、丁度その前日、富山県の戦友から戦死を知らせる手紙が両親のもとに届いたのです。両親は、私も北支から音信が無いので二人とも死んだものとがっかりしておりましたが、私が帰ったことで幾らか力が出たようでした。
 しかし、一番可愛がっていた弟の死は私も含め家中大変なシヨっクでした。
     (中略)
 フィリピンの大激戦の真っ只中で、困苦欠乏のなか、僅か16,7歳の少年達は、ひたすら祖国の勝利を信じて戦っていたのかと思うと、私の胸は張り裂けるような思いでございます。物量に物を云わせた敵の集中攻撃に、ただ死を待っばかりの哀れさ、凄絶さは思うだけでも身の毛のよだっ思いでございます。しかも、この修羅場の只中に一人生き残り、死を幾度も覚悟しながらも、戦友のため、遺族のため、生き続けて下さった貴方様のご.. ′い中は察するに余りあり、仏の御心として、深く深く御礼申し上げるばかりでございます。尊い若い命を落とした戦友を忘れて今日の繁栄を考えることは出来ないという貴方様の高邁なお心は、敵弾に倒れた戦友の屍の中で培われたものと思いますが、少通会の皆さんが皆貴方様と同じ考えであったことを、私は過日村松の参詣会で身を以て知り、感動して参ったのでございます。

 現在の日本人の連帯感の無さ、他人の犠牲の上に自分の欲望だけを追求している恥知らずさ、こんな風潮の中で、少通会の方々のような一貫して戦死された戦友と遺族の為に生涯を尽くそうとしている方々の貴重な存在の中に私自身取り巻かれていることを大変幸せに思い、心から御礼を申し上げ頭を下げたい気持ちで一杯でございます。

 私は弟を大変可愛がっておりました。私とは丁度10歳違いの7人兄弟の末っ子で男は2人だけでした。父は40年5月、母は42年6月に亡くなりました。弟は、私が云うのも変ですが、小学校時代はずっと級長で、高等2年の時は全校児童長であり、陸上の選手で剣道の主将でした。
 
 東村山の少通校に私が面会に行った時、弟の班長で木村という曹長殿が「貴男の弟は銃剣術が強い」と言って下さいましたが、その割に心の優しい大人しい子でした。貴方様のお手紙は早速仏前に供えて先祖と父母の霊に報告し、弟を慰めてやりました。

 弟の死に就いて、今まではっきりとした状況が判らなかった為、心がわだかまり、何かもやもやしたものがありましたが、今、そのもやもやが一瞬にして吹っ切れた思いでござます。と同時に、弟の死が昨日か一昨日だった様な生々しい気持ちが甦り、お手紙を何度も何度も読み返す度に涙を流し、この手紙を書きながらも何度か涙を拭いたことでございます。

 弟もこれで安らかに眠ることが出来るでしよう。これも、偏に貴方様の生涯をかけて苦しみ抜き、耐え抜いて下さった賜であり、心から御礼申し上げるものでございます。

 どうか、比の上はご自分のお心を安らげて毎日の生活をお健やかにお幸せにお暮し下さいますよう、弟に代ってお願い申し上げます。
 本当に有難うございました。先ずは乱筆、乱文にて御礼まで 草々

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