鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 22
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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終戦前夜、そしてシベリアヘ 井上隆晴 その3
4、終焉への旅立ち
8月9日早朝、突如、ソ連が越境侵入を開始した。下達される状況は悲観的なものばかりである。
8月13日,連隊挙げての転出命令が下達された。日夜の演練を共にし、万全の整備をしてきた通信機材等は、日暮までに何とかトラックヘ積載を完了した。
絶対量が不足するトラックには限度を超えて積めるだけは積んだ。
動くかどうか保証の限りではなかったが、やがて派手な排気ガスが怒りを表したようにして、先に出発したのであった。
兵員の出発も近いであろう。それを予期して夕食もそこそこに、各自身辺の整理に余念がなかった。
どさくさに紛れて散乱した雑物を片付けさせた。武人としての当然のたしなみだろう。
国境辺りで死闘が繰り広げられている筈である。
午後10時出発の命令がなされた。予期していたとはいえ、重苦しい緊張の波が走った。
その後の運命を誰が予測できたであろうか。・・・
知らず将兵は粛々と終焉への歩みを進めた。軍靴の音のみが暗黒の曠野に婉挺と響くのみであった。
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そして、終戦後、氏は、進駐してきたソ連軍に抑留され、24年7月の帰国まで、シベリアでの過酷な生活を強いられますが、戦後、その模様を、次のように綴っています。