鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 15
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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- 鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 32 (編集者, 2012/12/3 8:43)
編集者
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V 結び(不戦の誓い)
一体、この戦争は何だっただろうか?
戦友達の死をどの様に考えたら良いのか? その死に何の意義があるのだろうか? 何度も何度も考えました。
「若人よ、陸へ、海へ、空へ」という軍部のスローガンに踊らされ、未だ思慮分別も乏しい15歳の少年が、何の疑念も持たず、純粋に国の為と信じて志願した己の愚かさを痛感したものです。死んだ戦友達は靖国神社に祭られており、「平和の礎として、尊い命を捧げた英霊」と称えられているかも知れませんが、彼等の無惨な最期を目撃した者として、また、何度も死にかけていた者として、この無謀な戦争の実態に憤懣のやり場が無く、幾ら考えても率直に納得することは出来ません。
あの時から、もう60余年が過ぎましたが、今でも思い出すと寝られない夜があります。彼等は単に使い捨てにされた消耗品だったのではないか?
単なる犬死ではなかったのか?
今もなお、彼等の遺骨は人跡未踏の山奥に、雨ざらしのまま散乱しており、政府からも見捨てられて淋しく眠っていると思うと、胸が締め付けられる思いがして、私の心の中の戦後は何時までも終わりません(政府によって戦後行われた遺骨収集の分布概見地図を見ますと、山の奥の方までは行われておりません。なお、厚生省の発表によるフイリピン全域での日本人戦没者は約52万人で、遺骨収集は、その内、約13万体となっています。従って39万体は今も山野に残されていることになります)。
戦争は絶対に二度としてはなりません。