鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 26
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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編集者
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村松少通校・高木校長を偲んで 岡本勝造 その2
95歳頃までは、自衛隊父兄会、同協力会、郷友会、軍恩会等、旧関係部隊の要職に就き、殆ど自転車を利用しての活動であったという。
高木校長が99歳の誕生日を迎えるに当たり、期せずして、白寿の祝賀会を催そうとの提案がなされ、募金を行った処、嘗ての生徒や学校関係者から多額の寄付が寄せられ、平成4年5月、筑後市船小屋温泉のホテルに於いて、関係者.. 46名出席のもと盛大に長寿をお祝い申し上げた。そして、校長の肖像額(少年戦車兵出身の画伯にお願いしたもの)と奥様への贈り物である高砂の置物をご自宅までお届した処、既に床の間には旧制白河中学校同窓会、秋田雪部隊親交会(歩兵223連隊戦友会)関係団体等からお祝い品と感謝状が飾られており、校長の人柄が偲ばれた。
更にその後、103歳の誕生日が近づいた頃、病床に伏して居られるとの報に、私は有志4名と共に入院先の八乙女市の病院にお見舞いに駆け付けたが、この時、高木校長は私達と握手を交わされて、力強く握ることで健在振りを誇示されようとされたらしいが、大阪の仲間は軽く握ったらしく、「君ずるいよ、握手はしっかり握るものだよ」と言って微笑んで居られたが、この面会が今生の別れとなってしまった。
薬石看護の効無く103歳の誕生日を待たずに、幽明界を異にされてしまったが、息を引き取られる直前、「将校、下士官集合、天皇陛下万歳」と言い残し昇天されたとの事である。
軍民の多くの教え子や、旧軍関係で組織された団体の方々や、地域の人達から尊敬され信頼され、親しまれた高木校長の生涯は、武人であると同時に、卓越した教育者であり、乃木将軍にも匹敵する高潔な人柄であったと思う。
謹んで、ご冥福をお祈りする次第である。(「青春の絆」誌より転載.. )
注 因みに、高木校長は、繰上げ卒業性を送るに当たり、「若武者を戦の庭に先立てて汐路の無事をただ祈るかな」と詠まれました。
また、戦後慰霊の発端になった村松の「戦後20年の集い」に際しては、戦没少年兵の死を悼み、次の献詠を遺しておられます。
異境に骨を晒す十有余年 鬼哭嗽々誰か憐れまざらんや
勇躍かって上る遠征の旅 無言いま還る故郷の天
靖国の宮に御霊は鎮まるも 折々帰れ母の夢路に
戦争の末路何ぞ悲壮なる 涙は送り胸は迫る英霊の前..