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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 13

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通常 鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 13

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/11/7 8:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 Ⅲ 山岳地帯への逃避とその生活 その3

 彼方此方に死体が転がっていました。フィリピンは熱帯地帯ですから、人間が死ぬと2~3日もすると、死体が2倍程に膨張します。その後、体の一部が破れはじめ、ドロドロの粘液が流れ出して腐敗が進み、次第に形が崩れます。

 それに蠅が真っ黒くなる程たかり、蛆が湧いて勢いよく動くのが見えます。その頃が一番臭く、言葉では言い表せない厭な臭いでした。

 そうした死体の数が多かったので、山の何処にいても死臭が漂ってきます。
 死体は、青天でも毎日1~2度は降る土砂降りのスコールに洗われ、そして灼熱の太陽に焼かれ、忽ち白骨化します。そして、バラバラに散乱します。

 戦死者は別として、餓死や病死した死体は、何故か言いあわせたように、仰向きに倒れ、眼は必ず見開いており、しかもヤブニラミ(斜視)でした。どちらの方角から見ても、こちらを睨んでいるようで、小心な私はとても恐ろしく、傍を通る時は、目をそむけて通り過ぎたものです。これが日本を出る時、歓呼の声に送られ勇躍出征した帝国軍人の、哀れな、なれの果てです。

 マラリア、夜盲症(鳥日)、熱帯潰瘍、アメーバー赤痢、一―私はその全部に罹って苦しみました。勿論、薬も包帯もなく、軍医、衛生兵もいません。友軍同士の食糧の奪い合い、殺し合いもありました。飢えの苦しさから、死んだ兵士の肉を喰っている者を見たことがあります。太股や頬をえぐられている新しい死体も見ました。

 「調味料があったら交換してくれ」と言って乾燥肉を持ってきた兵がいましたが、多分、それは人肉だっただろう、と思います。その頃に牛や豚等の食用肉が.ある筈はありません。生きるためには徹底したエゴイズムと、動物的欲望によって理性を失い、倫理は破壊され、餓えた地獄の鬼になるのです。

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