鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 31
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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- 鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 32 (編集者, 2012/12/3 8:43)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
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村松町民と少通生の心の交流 その45
(終わりに)
以上、私は、先の大戦下に於ける「戦中派」の一人として、「戦争」を知らない現代の皆様に、その実態を正しくお伝えしたいと思い、集めた記録や手記を基に本誌を纏めました。一一―しかし、作業が進み次第にその全容が明らかになるにつれて、これまで私が同じ目的で発表した各種のエッセイが、如何に隔靴掻痒、その実態を描き切れていなかったかに気付かされショックを受けました。そして、その原因が、自ら実戦に参加された先輩11期生と、その体験を欠いた12期生の私との差であることを知りました。思えば、余りにも無謀な戦争でした。祖国存亡の危機に臨んで、進んで志願された先輩の純一な志に比べ、五島列島沖或いは済州島沖での遭難、ルソン島山岳地帯での彷徨、シベリア抑留等々、戦跡によって実態は異なっても、その悲惨な状況には、何と申し上げるべきか、その術すら見出せません。
それだけに、私の慰霊碑に詣でる気持ちは複雑です。始めは、上記の差、即ち、11期生と12期生との僅か半年の入校時期の差が、その後の人生に天と地の差を生んだ運命の非情さを実感し、ひたすら、ご冥福を祈るばかりでしたが、年を経るにつれて、自分の身を先輩に置き換えて、その心情をあれこれ付度するように変わって行きました。この点、今、戦没先輩の行動は、志願の動機を含め、皆「殉国」の2字に美化され称えられていますが、果たして泉下の御霊は、祖国の現状をどのようなお気持ちでご覧になって居られるのでしょうか。
一一―ここに於いて私は、現代の皆様が本誌を通じて戦争の実態をお知り頂き、その思いを戦没先輩の誰もが希ったであろう「不戦の誓い」の実現に、一歩でも二歩でも近づけて下さることを心から願ってやみません。因みに、かっての慰霊祭にご列席下さったご遺族の短歌を数首掲げます。
早う卒え壮途の船に沈みたる無念を惜しむ戦友の辞に泣く
生きおらば白髪じるき年ならむ遺影の弟は今も少通兵
軍帽を目深にかむり童顔の兄は志願し 19で逝けり
村松の山川さらば出陣の胸に祖国の平和希いて
何時訪ふも香華絶えぬと村松に昭和の自虎隊とぞ守り給える
合掌..