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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 32

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編集者

通常 鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 32

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/12/3 8:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 あとがき

 お読み頂いて、皆様はどのようなご感想をお持ちくださったでしようか。
 お蔭様で、前著「村松の庭訓を胸に」は、その増補版に記載致しましたように(82頁以降の「本誌の刊行と、その反響」ご参照)、当初の期待を遥かに上回る成果を挙げることが出来ましたが、本誌は視点を変え、主に「慰霊碑を守る会」の皆様にお読み頂くことを念頭に、碑に眠る御霊のうち、最も悲惨な最期を遂げた先輩11期生の戦跡と敢闘振りに焦点を絞って、編集させて頂きました。思えばこれら諸先輩は、祖国存亡の危機に、敢然として全国各地から志願され、卒業後は作戦行動の要である通信の重責を担う中核として、戦線万里に亘る活躍が大いに期待されましたが、戦局は我に利あらず、その多くの方が志半ばにして散華されたことは、痛恨の極みであります。

 特に私は、あの出陣当日の、真新しい陸軍兵長の襟章も誇らしげに完全軍装に身を固めた先輩の凛々しい姿を思い出す度に、その時の「先に行くぞ。後を頼む」の言葉が甦り、哀惜の情の益々募るのを抑えることが出来ません。

 ここにおいて私は、今回の編集に当たり、戦跡毎の手記や記録を選ぶとともに、こうした私共後輩の思いと祈りの気持ちを込めて、敢えて誌名を「鎮魂。西海に、比島に、そしてシベリアヘーー少通11期生敢闘の記録」とさせて頂きました。また終わりに、これら御霊が眠る村松の、幼い少年兵を温かく育んで下さった精神的風土について、新たな資料を基に若干の回想を加えさせて頂きました。

 それにつけても、今回私が最も悩んだのが、各戦跡に於ける戦没者数でした。

 夫々の記述によって若干の差があり、全体としての整合性が欠けてしまうのです。
 この点、同僚の佐藤嘉道氏が、東京、村松両校の当時の関係者を対象に精力的に調査してくれましたが、行方不明者も多く、また、両校には部隊編成の違いなどもあって、結果的に今となっては確定は難しいことが判明しました。

 大変残念ですが、ご了承の程をお願い申し上げます。

 とまれ、本誌に収めた11期生の敢闘振りは、現代の皆様に、どのように映り、何処までご理解頂けたのでしょうか。ご感想を賜れば幸甚に存じます。


 (付記)

 本文中に記しましたように、「村松碑」をめぐる慰霊祭は、関係者の高齢化のため平成13年の合同慰霊祭を以て終幕しましたが、その後、地元・村松では、有志による「戦没陸軍少年通信兵慰霊碑を守る会」(地元有志を一般会員、1日少通関係者を特別会員として構成)が設立され、毎秋、慰霊祭を開催して今日に至っています。
 
 また、「平戸碑」は九州在住の少通関係者と地元ボランテイア団体によって、その保守管理と慰霊が続けられています。
 両碑の所在地と「守る会」事務局は次の通りです。


 村松慰霊碑

 所在地新潟県五泉市村松記念公園内
 交通」R磐越西線五泉駅からタクシーで25分、又は新潟駅から村 松行の高速バスで1時間

 平戸島碑

 所在地長崎県平戸市鯛の鼻自然公園
 交通平戸市市街地からタクシーで30分


 慰霊碑を守る会・事務局

 住所〒959-1764 新潟県五泉市官野下6207-2 井関巌
 TEL0250-58-2913

 ーーー完ーーー

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