鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ 12
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鎮魂・西海に、比島に、そしてシベリアへ (編集者, 2012/10/26 7:59)
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編集者
居住地: メロウ倶楽部
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Ⅲ 山岳地帯への逃避とその生活 その2
幸いなことにルソン島に猛獣はいません。毒蛇(10~15c m、ミミズ位の大きさで真っ黒く、赤い舌を出す蛇で私達は天蛇(テンダ)と呼んでいました)、サソリ、大きな蜂がいて、これに噛まれたり、刺されたりして苦しむ兵を多く見ました。
私もジャングルを逃走中に、うっかりして蜂の巣に触れ、数十匹の蜂の攻撃を受けて、あっといぅ間に数箇所刺され、その痛さに悲鳴を挙げ、その後2~3日は何も食べられず高熱にうなされました。軍医や看護兵がいるわけもなく、痛みと空腹を抱えて1人で耐えました。蚊と山ヒルにも悩まされました。蚊はマラリア(熱帯地の伝染病)を媒介するので、誰もが苦しみました。山ヒルは手や足、首等の露出している肌に何時の間にかへばり付いており、痩せ細った栄養失調の身体の血を吸われます。
人間は水が無くては生きていけないので、川沿いに上流へ上流へと山の頂上に向かって逃げたのですが、道が無いので川に入ることが多く、靴は絶えず濡れ、直ぐ靴底が剥がれて履けなくなり、ずっと裸足でした。使えない靴を煮て、しゃぶる者も居ました。岩や木のトゲを踏み、足の裏は血だらけでしたが、いくら痛くても食い物の無いところに留まれば間違いなく餓死が待っています。歩けなくなった兵士が虚ろな目をして倒れていても、誰もが無視して通り過ぎます。親しい戦友でも歩けない者は置き去りにされました。友軍の死体が、もし靴を履いておれば、それを貰って履きました。もし中に骨が残っていたら、振り落として使いました。でも、せいぜいl0日程で靴底が剥がれて使えなくなり、直ぐ元の裸足に戻ってしまいます。
髪や髭は伸ばし放題、指の爪が伸びて邪魔になると、時間をかけて歯で噛み切りました。
昼間は暑くても、夜になると急激に冷え込みます。着た切り雀で他に着る服は何も無く、寒さに震えました。
月の無い夜は真の闇です。でも火は炊けません(敵に探知される懸念がありました)。雨が降っても天幕が無く、大木の根元に寄り添って凌ぎました。帯剣は重く、それに刃が付いていないので使い物にならず、早くに捨てました。小銃 (30年式短小銃)と弾、手招弾は最後まで持っていたのですが、それは護身と最悪の場合の自決用に、どうしても必要でした。
生き残りの兵隊30人程で山中にバラックを建てて過ごしていた20年3月頃のことです。
炊事の煙を敵の観測機(グライダーのような形の黒い飛行機で、低空をゆっくり飛んでいましたが、多分、無線操縦ではないかと思います。馬鹿な兵が小銃で撃ったところ、10分もしないうちに迫撃砲の連射を受けたことがあり、それからは、火煙を出さないようにし、声を潜めて警戒しました)に探知され、ある深夜、 迫撃砲の集中砲火を浴びて兵の殆どが即死し、生き残ったのは私と若い兵の2人になったことがあります。
多くの死体の散乱した惨状を目の当たりにして私は絶句し、震えが止まりませんでした。
その時に同期の親しい戦友を2人亡くしたのですが、その1人は腹部を打ち抜かれ、腹の臓物が大量に露出して即死しており、また、1人は顎を砕かれ、未だ息があったのですが、ロレっの回らない声で、尾崎!尾崎!と連呼しながら、私の腕の中で息絶えました。