特攻インタビュー(第2回)その2
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陸軍航空特攻 中村 眞 氏
◆将来は飛行機乗りだ!(1)
--------中村さんのお生まれは何年でしょうか?
中村‥大正12年の3月3日、桃の節句です。関東大震災が起きた年です。
--------お生まれが、福島県の郡山市ということですね?
中村‥福島県の郡山です。あのころ父親が橋本製糸工場の支配人をやっていましたので、そこの社宅で次男として生まれました。
--------旧制安積中学卒業後は、どうされたのでしょうか?
中村‥追浜にあった海軍の航空技術廠に就職をしました。
--------それは、普通に就職試験みたいのを受けられたのでしょうか?
中村‥そうです。なるべく飛行機に近い仕事に就きたかったもので、海軍航空技術廠だったら飛行機に触るくらいはできるんじゃないかなと希望を持って行ったんですが……結局、総務部の事務員でね、タイピストの間を駆け回って書類を集めて配る、というような仕事になってしまいました。
--------やっぱり子供の頃から空への憧れっていうのは、強かったんですか?
中村一子供の頃というより中学3年生頃から私は「将来は飛行機乗りだ!」と思っていました。ある映画を観たときに、鈴木傅明という冒険の役者がおりましてね、彼が複葉機に乗りガ~ンと飛んで、牧場にいる女の子のところへ郵便物を届けるシーンがありまして、白いマフラーを靡かせてバイバイと飛び去っていくんです。大昔の映画ですけどね。それを観て「ああ、俺もああいうことをやってみたいな」という憧れが子供心に芽生えました。
--------当時、中学校進学は相当エリートというか、学歴が高い方だったと思われるのですが、当時例えば予科練に行くというのも選択肢の一つとしてありましたでしょうか?
中村‥ありました。七つボタンということで甲種飛行予科練習生の受験をひとつやってやろうかと。それには体を鍛えなければと思って中学校の放課後、砲丸投げをやったり鉄棒をやったりランニングなどをしていました。あたりが暗くなるまで運動をし過ぎたので肋膜炎になりましてね、それで3カ月位学校を休んじゃったんですよ。肋膜をやったんじゃこりゃ予科練はダメだなと、それで諦めたんです。あと士官学校や海軍兵学校は、頭のいい奴だと中学4年生くらいから、そっちのクラスに入っていましたからね。私はそのクラスじゃなかったから(笑)。
--------海軍の航空技術廠にお勤めになった後に、逓信省航空局仙台地方航空機乗員養成所の操縦生の募集をご覧になって、そちらを受験されたということですね?
中村‥そうです。試験の内容を見ると中学3年生修業程度。あ、こいつは受かるわいと。ただ、肋膜炎になったというのは、ちょっと心配だったんですけど、当たって砕けろで応募したら、仙台で行われた身体検査をパスして、翌日に筆記試験を受けました。青葉城下の旅館に宿泊したのですが、あの辺は全然不案内でしたんでね、《旅館》と書いてあるボンボリが下がっている建物があったんで、そこに入っていったら《待ち合い》で、男と女が伸良くするところらしかったんです。夜中に警察による売春の手入れがあったりして(笑)、ビックリしましたけどね。