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特攻インタビュー(第2回) その33

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通常 特攻インタビュー(第2回) その33

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/2/5 7:52
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 真 氏

 ◆オーストラリアの捕虜収容所で終戦(4)

 --------特攻とかいろいろ戦争体験があるんですけども、そういうことを周囲に語れるようになったのも、戦後しばらくしてからでしょうか?

 中村‥なるべくね、忘れたいとは思ってましたよ。私の戦争体験のことで、秦さんが警視庁に取材に来るまでは、誰にも特攻のことは話したことなかった。両親にも亡くなるまで黙っていたね。警部補になってからですよ、「中村警部補、こういう人が戦争のことで聞きたいって、インタビューに来てるぞ」っていうことで、私の部屋に来てもらって、それでいろいろ秦さんと話が始まったわけだ。そうなると話をするのにいろいろ思い出さなくちゃなんないわけだ。ところが、当時のことを確かめようと思っても、みんな死んじゃってるから、確かめる相手がどこにもいない。

 他に生き残ったのでは、出納軍曹っていうのが大分県にいたけれども、帰ってから山本という家に養子に行って、ポコツと死んじゃったんだね。出納軍曹は編隊長機の通信士で少年飛行兵。だから戦後よく顔を合わせて話をしたんだけれど、最後に中隊長 (丸山大尉) はどうして亡くなったの?って話を聞いても、どうも要領を得なくてはっきりしないんで、現地で捕虜になって「お助けください」って降参したのかなあ。そんで死んだのかなあなんて思うんだけど。でもそう思うのはちょっと失礼だもんね。本当のところは分かんないんだから。出納軍曹本人も言わないんだもんな。

 隊長機が不時着して乗員が海に投げ出されたっていうことが書いてある本もあるし、海岸に不時着してゲリラと丸山大尉とみんなとの間でピストルで撃ち合いになって、それで戦死して自分は捕虜になったと書いてある本もあるし。その辺りがはっきりしない。何か思い出しながら書いていても、あれはどうだったかねって、確かめる人がいないんだもん、誰も…。

 今、第五飛行団会の世話人は、私と大原申造というのと松田功っていうのと3人でやっているけど、特別操縦見習士官だったり陸軍士官学校57期生だったり戦場には行ってないんです。だから留守隊で基地に残っていた人たちが、第五飛行団会っていうのを作ったんですね。第五飛行団会も松田さんっていう人が、戦後は全日空に勤めていたのかな、それで田中角栄の贈収賄事件でロッキード社からお金を貰ったじゃない。それの証人として国会喚問を受けた松田さんっていう人だ。ロッキード事件が終わってから松田さんが呑龍で死んだ人を慰めるのに何か作ろうじゃないかと発案をして、島根県の山奥からお地蔵さんを探して来て、北条時宗の建てた北鎌倉で有名な円覚寺、あそこの閻魔堂の前に《呑龍地蔵大菩薩》として置いてあるんですよ。毎年9月にお祭りをやっています。

 --------中村さんも、そのお祭りに参加されているのでしょうか?

 中村‥私は世話人だから毎回参加しています。みんなよりちょっと年下になっちゃってるんで、連絡から通知から名簿作りから何から、全部こっちがやらないといけないんで…でも去年で終わりだね、年に1回やってたんだけど、もうくたびれたよ(笑)。

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