特攻インタビュー(第2回) その28
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陸軍航空特攻 中村 真 氏
◆土民に救助されそのまま捕虜に(1)
--------救助だと思って安心していたら敵に捕まってしまったんですね。
中村‥そうです。私を乗せたカヌーは少し大きい親船のところへ着きましたが、親船の帆柱には、私を見捨てて泳ぎ去った河合と足立が、首に縄をつけられて帆柱に縛り付けられていましたよ。「何だこれは、大変なことになっちゃったね」なんて…。でも相手はフィリピン人だから、まだ捕虜になったって感じは全然しない。フィリピンと戦争しているつもりはなかったからね、我々は。アメリカ軍と戦ってるんだよ。場所がフィリピンだっていうことだけで、フィリピン人と戦ったという意識はないですよ。
--------ケガはしなかったのですか?
中村‥島に着いてから3人は別々に海岸の太いヤシの木に縛り付けられました。そこで河井が左肘を骨が飛び出すほどの負傷をし、足立は右膝を打って脚が曲がらないようなケガをしていることが分かったけど、2人ともそんな身体でよくまあ泳いで来たものだと感心したね。私は顔の右側にガラスの破片でかすり傷をしていたのと、右脇腹に十円玉くらいの大きさの火傷を負っていたが、他にケガはどこにもなかったね。
あまりの環境の変化にボヤッとしていたら、アメリカ軍の服を着たフィリピン人の男が、裸馬に女と2人乗りで、海岸の砂を蹴り立てて駆け付けて来た。その男は抗日ゲリラの将校らしく、私らを捕まえた連中と何やら話をしていたんだけど、そのうち話がついたのか、私たちは縛られて裸足のまま別の場所へ移動することになって、飛び上がるほど熱い砂浜を歩いたり、ジャングルの中に入ったりしながら長い間歩かされたんだ。途中で2カ所くらいに大きな鉄鍋が潅木の茂みに隠してあったり、中には塩味の付いた外来米が入っていて、それを手づかみで食わされたが、ゲリラの食糧なんだろうな、美味しいものではなかったね。
海岸から少し入った岩陰にゲリラの見張り所のようなところがあって、そこへ連行された。3人はそこで初めて話をしたんだ。「どうやら捕虜になったらしいが、故郷の人に迷惑をかけないように変名しょう」と、たしか河井が言いだしたと思うんだけど、私は斎藤十郎、足立が横山道雄になったんだ。肝心の河井の変名は何だか忘れてしまったよ。
--------いよいよ捕虜への尋問が始まるわけですね。
中村‥しばらくしてから、見張り小屋で尋問が始まった。尋問するのは日本語の上手なフランス人形のように奇麗な白人女性だったですね。ふんどし一本の私は、ゲリラの兵隊が着用しているカーキ色の半ズボンを穿かされてから、彼女の前に連れ出された。もちろん両手は縛られたまんま、後ろには自動小銃を持ったゲリラが見張っている。彼女の前にある机には、呑龍の図面が置いてあって、それを指差しながら、「アナタノ、ヒコーキノシゴトハ、ナンデスカ?」といった調子だよ。連中は呑龍を「ヘレン」と呼んでいた。
後で分かったことなんだけど、敵の飛行機をニックネームで呼ぶんだねぇ、それも女の名前だ。海軍の一式陸攻は「ベティ」って呼んでたね。
私は操縦士だったと言うと、後でうるさく聞かれそうな気がしたので、「私はマシンガン、マシンガン」なんて言って機銃を撃つ仕草をして見せたんだ。でもバレてたみたいね、私が操縦士だってことは(笑)。3人の尋問が終わると、どういうわけか、河井と足立は残されて、私一人だけが奥地の屯所へ行くことになった。いい加減なことを言ったので、これは銃殺されるかもしれんぞと思っていたんだけど、逆の結果になったことを知ったのは後のことだった。もう夜になって暗くなっていたんだけど、私は自動小銃を持ったゲリラ2人に連行されて、珊瑚礁の岩をよじ登り、谷を下ってジャングルをかきわけながら奥の屯所へ向かった。ジャングルの中には、あちこちにスピーカーが取り付けられていてジャズ音楽が流れていたよ。ここが戦場なのかって思ったほどだ。余裕だよねぇ…。
奥の屯所といっても、ちょっとした空き地とニッパハウス(熱帯地方のニッパ椰子の葉で屋根を葺いた家)が数棟建っているだけで、電灯が点っているわけじゃない。ガソリンを入れたマニラビールの小瓶に布を差し込んで、火をつけたのを灯りにしてるだけなんだ。そこの食堂に連れて行かれ、ゲリラの奴らに囲まれながら、ブリキの皿に盛ったジャブジャブの外来米と魚の唐揚げを食わされた。奴らも食事中だったらしいが、手の指でこう器用にまとめて口に運んでいたね。私がスプーンを要求すると、こっちを見ている連中がオーとか言って声を上げていた。後で聞いたらスプーンやフォークを使うのは将校だけだったらしいんだけど、そのときは貸してくれたよ。