特攻インタビュー(第2回) その12
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陸軍航空特攻 中村 真 氏
◆飛行第九五戦隊として各地を移動(1)
--------浜松の飛行第一〇五戦隊に配属された後に、単身で満州の飛行第九五戦隊に配属されましたが、その後は部隊を転々としたというよりも、飛行第九五戦隊としていろんなところに移動されたのでしょうか?
中村‥そうです。最初は白城子の側でしたけど鎮東で編成になって、それからハルピンの隣の拉林鎮(ラリンチン)陸軍飛行場に移動しましたが、飛行第九五戦隊のままですからね。最後まで飛行第九五戦隊でした。
--------満州の後は、いったん鉾田に行かれましたですよね?
中村‥満州の中で、鎮東から拉林鎮陸軍飛行場に行って、そこから茨城の鉾田陸軍飛行場です。
--------その次は、北海道の方に?
中村一そうです。計根別(けねべつ)陸軍飛行場と帯広陸軍飛行場と書類には記録してありますが、私たちは帯広だったですから。その後ウルップ島や松輪(まつあ)島方面の哨戒になりました。
--------同じ飛行第九五戦隊でも、その中でいろんなところに分かれて移動されたのでしょうか?
中村‥そうです。北海道でも1800kmの洋上哨戒飛行がありました。帯広を中心に太平洋側に800kmの扇状に哨戒して、潜水艦を攻撃する訓練をやりました。北海道の山肌に石灰で潜水艦の絵が措いてあって、それでデモ訓練をしたりしました。赤ボタンを押し10kg爆弾を落とし旋回して逃げるんです。
--------そのウルツプ島・北海道、そして北海道・千島に行かれた後に、今度はいよいよ最前線のフィリピンということになるのでしょうか?
中村‥そうなんです。北海道にいる頃には、エトロフ島から爆弾倉一杯に買い込んできたタラバガニを、乾パンの空缶で茄でて、ウルップ島の海軍の夜間戦闘機銀河の連中と、よく一緒に一杯呑んでやってましたけれども(笑)、それから捷一号作戦が始まって、今度は海軍も陸軍も北海道にいる部隊が、みんな宇都宮だとか立川だとかに集められました。