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特攻インタビュー(第2回)その5

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通常 特攻インタビュー(第2回)その5

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/2 17:15
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 中村 眞 氏

 ◆民間の乗員養成所へ(2)

 --------ちょっと話を戻します。乗員養成所時代、昭和16年12月8日にアメリカとの戦争が始まるのですけれども、そのときのニュースを聞かれたときのご記憶とかありますでしょうか?

 中村‥早朝に非常召集がかかりました。廊下に全員順々に並ばされて、何ごとかと思ったら、「我が国から宣戦布告があった」と上官から聞かされました。誰もが一瞬、身の引き締まる興奮を感じましたね。そのときちょうど我々の乗員養成所の裏手の太平洋側に、九四式偵察機(中島キー4) という古びた軍用機がボソボソポソボソ飛んでたんですが、こういう飛行機に乗ってアメリカと戦争を始めて、こりゃどうなんだろうね、なんていう感じがしました。

 --------12月8日に大東亜戦争が始まる前に、アメリカから日本への輸出が禁止されるとか、すでに経済封鎖が始まっていますが、いかがでしたでしょうか?

 中村‥我々は民間飛行士が希望ですから、どうせ戦争が始まるなら伍長になった後の方がいいと考えていました。というのは予備役下士官候補者という制度がありまして、伍長になりますと予備役編入になって戦争に行かずに済むだろうと考えていましたので、早いとこ軍隊で飛行機の操縦を覚えて伍長になろうと思っていました。まだその頃は戦争はあまり意識していませんでしたね。

 --------昭和17年の3月に乗員養成所を卒業されて、2等飛行操縦士になったわけですね?

 中村‥ええ、2等操縦士と2等航空士の技量証明書というのをくれるんですよ。軍隊に入ってしまえばもう役に立ちませんけど、それを持って今度は中央航空機乗員養成所というのが松戸にありまして、そこへ入ると1年位で1等操縦士と1等航空士になりまして、旅客機を操縦できます。仙台では一所懸命、帽子を斜めに被って挙手の礼をして、「中村、サイゴンに出発」とかいうような練習をしていましたよ。

 --------松戸の中央航空機乗員養成所の方へも行かれたのでしょうか?

 中村‥いや、行きません。仙台を卒業したら岐阜の飛行第二戦隊っていうところへ入れられましてね、そこへも一等兵で入りました。

 --------陸軍飛行学校に入ったのは、志願ではなかったのでしょうか?

 中村‥そういうコースは予め決まっているんです。乗員養成所を卒業するともう《予備役下士官候補者→予備役下士官》のコースを踏まないと民間に出れないということが決まっていますんでね。予備下士コースに一等兵で入り半年で伍長になって、卒業・除隊・予備役編入になります(1927年以後は幹部候補生、中学校卒業者で乙種幹部候補生の教育を受けた者は平時ならそのまま除隊し予備役に編入された)。それで中央の方に行かない人は、各養成所の助教さんという嘱託みたいな形で教官の助手をやるようになります。

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