特攻インタビュー(第2回) その10
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◆出戦命令から初陣まで(1)
陸軍航空特攻 中村 眞 氏
--------出戦命令で、教導飛行第九五戦隊が飛行第九五戦隊になったのですね?
中村‥そうです。《教導》が取れて。
--------教導とは教育という意味ではないのですか?
中村‥いわゆる、教育戦隊みたいな意味合いがあるのかなと思います。何しろ新機種「百式重爆 (百式重爆撃機=呑龍)」 で編成された部隊でしたからね。あの字から見て、教え導くということで教導ですから、そう変わらなかったです。いま爆弾の話をしたように、教導の訓練と出戟命令が下ってからの戦隊としての活動とでは、爆弾を使う量も使い方も違うんじゃないかと思うんですね。
--------中村さんが書かれた本『死に損ないの挽歌(私家版)』 に、重爆が出撃するといっても出撃するまでには時間がかかって、なかなか大変だったとありましたが、実際にはどうでしたでしょうか?
中村‥だいたい爆弾を積むのに最低2時間くらいかかるんですよ。特攻のときは500kgの弾を、電気係の曹長が魚雷を吊るための魚雷懸架機という、ガスネジみたいな細かいネジの付いたので持ち上げて吊っていました。私もその作業を手伝ったりしました。
--------燃料の積み込みや積み替えみたいな作業でしょうか?
中村‥そうです。あと機関係が整備点検で、毎回航続距離と爆弾の搭載量との関係でしょうけれども、3番タンクをいつも空にするんですよ。まあ、どうしてなんだろうなあ? 私にはその理由は解りませんが、いつも3番タンクは空にして、哨戒飛行は50kg爆弾11発、特攻のときは500kg 1発でした。
--------もう出戦命令が出た頃には、飛行機も九七武重爆撃機から変わったのでしょうか?。
中村‥満州に行ったときから機種は変わりました。満州の鎮東に赴任した教導飛行九五戦隊は、私の最後の棺桶となった百武重爆撃機の戦隊でした。百武重爆撃機一型という奴が曲者で、飛ぶ度に火事になるんです。エンジンから火が出てね。それでもう皆で手を焼いて何とかならないかっていうことで、まあ、排気管の関係でエンジンに引火するらしかったので、排気管をいろいろ改造したそうです。それが百式重爆撃機二型となって、ようやく安心して乗れるようになりました。エンジンの馬力も1450馬力が二つ付くようになりましたから、一型と二型では大分変わりました。
--------二型になってからは、操縦しやすくなったのでしょうか?
中村‥はい、一型はみんなに毛嫌いされて、大体いなくなっちゃいました。ほとんどみな二型になりました。武装も20mmの機関砲が付いたりね。それから、以前フィリピンの海の底から見つかった重爆には、尾部に13mm機関砲が付いてたっていうようなことがある記事に載っていましたけど、これは記録に一切ないなんてことはないのです。私が乗っていた飛行機にも前方13mmと尾部13mmの機銃は付いていました。パイロットの担当飛行槍というのは決まってないんですよ。出撃するたびに飛行機が違うんです。誰々の…たとえば、機関係・河合軍曹の飛行機、足立伍長の飛行機という具合にね。ですから愛機って言っても、常に「これは俺の飛行機だ」というのはなくて、どの飛行機でも乗れるようになっていましたね。