特攻インタビュー(第2回)その3
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特攻インタビュー(第2回)その2
陸軍航空特攻 中村 眞 氏
◆将来は飛行機乗りだ!(2)
--------もうそのときには、航空技術廠はお辞めになっていたのでしょうか?それとも勤めたままで受験されたのでしょうか?
中村‥辞めてからです。辞めるのにもなかなか大変でね。海軍の偉い人のところに行って、その理由を述べて辞めなくちゃならない。総務部の石井という上司が意地の悪い奴で、何かにつけて苛められて、事務室の書類箱に頭を突っ込んで泣いたこともあったね。岸壁から見える十二試艦戦(零戦)の試験飛行の勇姿に矢も盾もたまらず、「学校の先生になるつもりです」と言って、航空技術廠を辞めさせてもらいました。
--------「民間の航空機乗りになる」では、辞める理由として通用しないのでしょうか?
中村‥そうです(笑)。まだ受かるかどうか判らない段階でしたしね。私の家は兄弟が全部学校の先生なんですよ。だから私も学校の先生になるということであれば通用すると思いました。父親は製糸工場の支配人だったのですが、昭和4年頃の世界的な経済不況で結局倒産してしまいました。それで生活水準がガタツと落ち込んだもんだから、まあ母親としては経済不況になっても生活に影響のない学校の先生というような方面に娘たちをやったのですね。兄弟8人のうち男手が兄と私の2人しかおらず、兄が身体の具合が悪かったので、私が跡取りになっておりました。でも私は乗員養成所に行きたくて海軍航空技術廠を辞めてしまいましたから、母親のような不況を意識した考えはなかったです。
--------ちなみに、その民間の乗員養成所の募集は、どこでお知りになったんしょうか?
中村‥横須賀だと思いますね。航空技術廠にいる間に募集要項を見て、あ、これは行けるなと、そっちの方を選びました。操縦生の試験にパスして嬉しかったですよ。これが本当の天にも昇る気持でしょうね。