特攻インタビュー(第2回)その4
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陸軍航空特攻 中村 眞 氏
◆民間の乗員養成所へ(1)
--------乗員養成所での勉強や訓練というのは、どんな内容でしたでしょうか?
中村‥今まで近くで見たこともないような赤トンボで、九五式三型練習機という複葉羽張りの飛行機でしたけれどね。格納庫から出すのも納めるにも押して入れるというような《触れる飛行機》でした。それが操縦生課程、一週間ほど「気をつけ!」「敬礼!」なんていう地上訓練がありまして、間もなく操舵訓練の飛行機に乗ります。入ったらすぐに飛行服を支給されて、1週間ほどで私は飛行第十班に配属されました。同期生は49人です。仲間と5人くらいで一つの班で、私らが一番最後の班でした。それから九五式一型練習機に移り、卒業間近には九九式高等練習機をやりました。まあこれは場周離着陸だけでしたけどね。
--------後に軍隊に入られるんですけども、軍隊時代の訓練と養成所時代の訓練というのは、違いましたでしょうか?
中村‥相当違いましたね。軍隊に入ってからの訓練というのは、我々のコースとしては、すでに2等操縦士、2等航空士の資格を持っていますので、ポッと入ってきた少年飛行兵なんかとは、ちょっと違いました。軍隊に入ったときは、普通の人は二等兵で一つ星で入るんですけど、我々はすでに二つ星で一等兵で入るんですよ。それで半年経ったら伍長になって卒業という形になります。
--------よく予科練に入った方々の話を聞くと、入隊したばかりのときは、もう散々軍人精神を叩き込まれたところからスタートして、かなり厳しい訓練だったと伺うのですが、その民間の養成所のときには、例えば上官の方に殴られるとかはなかったのでしょうか?
中村‥いや、それはかえって民間の方がありましたね。宿舎から隊伍を組んで駆け足で飛行場に行く途中で教官に会ったら、「歩調とれ~! 頭~右-」と敬礼をせよと言われていたのに、その敬礼を忘れると「飛行場、早駆け~!」と言って重い落下傘を背負ったまま、仙台の霞目飛行場(陸軍仙台飛行場・現在の霞目駐屯地)を一周走らされたり、格納庫前で腕立て伏せをさせられ「一番最後まで残っているのは誰だ!」なんて脅されてね、そんな厳しいことがありました。
--------じゃあ、軍隊の教育とほとんど変わらない感じだったのですか?
中村‥そうですね、軍隊では少年兵ではなくて一等兵で入りましたから、そういう体罰的なものはほとんどなかったわけです。ただ、《飯あげ》って言いますが、自分たちの食事をこういう木の桶に入れて2人で担いで、自分たちの宿舎へ持って来るんですよ。それをみんなに分けて、今度そのバッグを炊事に返納するんですけど、そのときに炊事の上等兵が、そのバッグを検査するわけですよ。そうすると、古いバッグの材木の節目や割れ目にご飯粒が引っかかってると…「おい、これは何だ!」ってなことで、こんな長いシャモジでバーンなんて殴られましたね。
ところが奴は上等兵でしょ、こっちは一等兵。2カ月経つと私の方が上がって今度は上等兵、もう2カ月経つと今度は兵長だ。2カ月経ったらこっちの階級が上になりますから、奴に「おう、何だ貴様!」ってことになる (笑)。
--------立場が逆転しちゃうわけですね。
中村‥そうですね (笑)。
中村氏の乗られた飛行機