特攻インタビュー(第2回)その6
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編集者
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陸軍航空特攻 中村 眞 氏
◆卒業式当日に現役軍人(1)
--------一般的なコースとしては、陸軍の飛行学校に入って下士官候補生の過程を終了したら、そこで軍隊生活はお終い、というはずだったのでしょうか?
中村‥本当はそのはずだったんです。しかし卒業するはずだったのが、卒業式当日に「陸軍補充令附則第二条により、現役召集!」みたいなことを怒鳴られましてね、あれ?なんだ卒業できないんだっていうことになりました(笑)。
--------それでは召集は、卒業の日に突然知らされたと?
中村‥そうです、卒業式のとき突然ですね。
--------じゃあもう、中村さんとしては「ここで卒業したら、次はようやく民間で国際線のパイロットになれるぞ」と思っていらっしゃったと?
中村‥そうですね。そのつもりでいましたから…。ところがその《陸軍補充令附則第二条》というやつで、いきなり現役編入です。あ~あ、現役軍人になっちゃったんだということで、すぐに重爆隊に持って行かれたんじゃないかな。浜松の飛行第一〇五戦隊に配属になりました。
--------岐阜の飛行学校にいらっしゃった時代に、もし陸軍で空中勤務者になるんだったら、戦闘機乗りとか爆撃機乗り、あるいは操縦貝や偵察員への希望に対して、特に選考みたいな形はなかったんですか?
中村‥希望は聞かれませんでしたね。何で私が重爆に行ったんだろうなあと、今でもいろいろ考えるんですけど、卒業試験がありまして、特殊飛行で私がどうしてもできなかったのが、宙返り上昇反転といって宙返りの頂点でひっくり返るやつでした。これの基準を取り違えてたんで(手まねをして見せて)、この辺で反転の舵を使うもんだから、何回やっても錐揉みに入っちゃうんですよ。試験官の准尉が「中村、おまえ基準の取り方が違うんじゃないの?」ってなことを言われました。
その時点では、重爆に行くとか戦闘隊に行くとか、そういう考えは自分に何もなかったです。後で聞いてみたら重爆隊行きと……こういうことになってましたからね。
--------じゃあそれが決まってから、岐阜から浜松の方へと転勤だったのですね?
中村‥そうです。
--------浜松の飛行第一〇五戦隊に配属されて、そのままもう重爆の訓練開始になったんでしょうか?
中村‥その時は《修行者》という名前がついて伍長になっていました。重爆に行ったのは何人くらいいたか人数的には忘れちゃいましたけどね。《修行者》のグループが一緒に寝泊りするための宿舎を借りて、その《修行者》たちで浜松での訓練はやりました。
--------岐阜の飛行学校にいたときには、練習機でずっと訓練されていたと思うのですが、いきなり重爆といって大きな双発の爆撃機の操縦士になられて、そう簡単に操縦できるようになるものなのでしょうか?
中村‥岐阜の陸軍飛行学校での最後の方の訓練で、三重県の亀山分校に行きまして、九五式一型練習機、九九式高等練習機という九八直協偵(九八式直接協同偵察機) というやつを改造した実用機向きの訓練と、九七式戦闘機の訓練がありまして、これが非常に操縦性能のいい戦闘機で、乗った飛行機の中では一番運転が良かったです。実用機としては、九八直協と九七式戦闘機「名材号」という愛国号(名古屋材木商工組合による献納)で訓練しました。きっと名古屋の材木商さんたちが寄付したやつなんだろうね。
--------先ほどの話の続きなのですが、浜松の飛行第一〇五戦隊に行って、重爆は最初何に乗られたのですか?
中村‥九七式重爆撃機一型(キ21-Ⅱ)です。
--------今まで訓練では単座飛行機に乗られていたわけですね?
中村‥そうですね。最初はこんな大きなものが空を飛ぶんだろうかなと思って、ちょっと不安というか不思議だったですよね。