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特攻インタビュー(第2回) その14

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通常 特攻インタビュー(第2回) その14

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/1/12 6:44
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆飛行第九五戦隊として各地を移動(3)

 陸軍航空特攻 中村 眞 氏

 --------フィリピンに派遣されたときの話を伺いたいのですが、フィリピンに到着したのは昭和19年の何月くらいでしょうか?

 中村‥昭和19年の11月19日がフィリピンに到着した日なんですよ。これがね(資料を見て)、フィリピンのクラーク・フィールドに出陣する飛行第九五戦隊の雄姿という説明になっていますけど、本当は雄姿じゃないんです。先の部隊が28機でデルカルメンというところに進駐しました。そこにアメリカの戦闘機へルキャットが空襲に来たわけです。それでみんなボコボコにやられてしまって、28機のうち2機しか飛べるのが残らなかったんです。そのとき我々は、このバシー海峡でクラーク・フィールドに到着する寸前でした。地上から「今、敵が空襲中だから、ちょっと雲の上で待ってろ!」と言われたので、この写真は雄姿じゃなくて着陸しないで待ってる姿なんですよ、これ (笑)。

 --------あ、そうなんですか!

 中村‥デルカルメンに進駐するときではあったのですが、第一編隊・第二編隊・第三編隊の3番機に乗ってた整備の松井っていう見習士官が撮った写真なんですよ。

 --------実は、勇ましいというより不安に駆られていたときだったんですね?

 中村‥そう!

 --------この写真の中には中村さんが搭乗されていた飛行機も写っているのでしょうか?

 中村‥私が乗っているのは第一編隊の2番機…(写真を見て) この辺ですかね。3機で一編隊です。

--------その飛行場には降りることはできたのでしょうか?

 中村‥空襲が終わってから着陸許可が下りて、その飛行場には降りました。

 --------もうその翌日から、出撃になったのでしょうか?

 中村‥そうです。飛行場に下りて、ちょうど食事の時間になって、お皿にあの頃の外米のジャブジャブっていうご飯を食べようとしたら、またグラマンの空襲だっていうんで、そのお皿を持ったまま爆撃でできた穴の中に入って退避していました。

 --------敵機の空襲を受けたのも、フィリピンに行って初めての体験でしょうか?

 中村‥ええ、19日に着陸した直後ですからね。

 --------やっぱり空襲ってのは、怖いというか凄いものでしょうか?

 中村‥こっちの対空砲火がないのをいいことにして、奴らもパイロットの顔が見えるくらい低空を暴れまわっていました。こっちも飛行機の方向を見ながら、穴の中をグルグルまわって撃たれないようにしていたので、そんなに恐怖はなかったです。

 --------そしてその翌日から、先ほど仰ったように夜間爆撃に出撃されたんですよね?

 中村‥そうです。もう昼間はダメでしたからね。もう帯広にいる頃から、昼夜転換訓練というのがあって、夜に飛んで昼は寝ているんですよ。だからなかなか眠れなくて…。夜になると「はい、集合!」で夜間飛行です。そんなことを帯広にいる頃からやっていましたので、もうそういう状況だったんじゃないですか? 昼間の制空権はアメリカに取られていましたので、こちらから攻撃する場合には夜間攻撃しかないと。だから菊水特攻隊の出発についても、栗原部員と師団司令部とで相当やりあったらしいんだよね。

 今はもう昼間、速度の遅い重爆で攻撃しても成功は覚束ないから、夜間にやらせてくれということを、第五飛行団の方では盛んに軍司令部に言ったらしいけど、結局ダメで、他の援護戦闘機の関係や戦果確認機の連絡もあるから、そう一方的には決められない、予定通りやれってなことを言ったんでしょうね。援護の戦闘機なんか一機も来ないくせに。万朶隊の佐々木伍長もエンジン故障で助かったほうですね (笑)。私らと一緒に行ってたら死んでいたかもしれない。
 

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