特攻インタビュー(第2回) その32
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陸軍航空特攻 中村 真 氏
◆オーストラリアの捕虜収容所で終戦(3)
--------今思えば、援護の戦闘機もなく重爆だけで特攻だと命令され、敵艦の位置確認さえろくにしていないのに真昼間から突っ込まされて、…そんな命令をする軍上層部に対して怒りが込み上げると言いますか、何か思われることはありましたでしょうか?
中村‥これはもう怒りを通り越して、なんて拙劣で下手な戦争指導者たちだったんだろうと…。戦後いろいろ本を読んでみると、まあ一番の元凶は軍司令官の富永恭次陸軍中将のようですね。最初我々には60機の援護戦闘機が付くという情報で飛んでったでしょ。行ったら1機も見えないんだもん。ある本によれば3機来たとか、そんなことを書いてあります。私が見たのは軍偵1機。こうして見たら軍偵が飛んでるんですよ。「あれが、戦果確認機かなあ?」なんて思ったけど、それがいつの間にかいなくなっちゃったし…。そのときには怒りを感じることはありませんでしたよ。後になって考えるとね、なんて下手くそな戦争のやり方なんだろうと思います。
敵の船が1隻もいないということについても、歴史学者の秦郁彦さんの調査では、12月13日にミンダナオ海を埋め尽くすほどの軍艦・輸送船・その他が集まったと。ネグロス島を越えて、海軍の特攻機が2機か3機、ナッシュビルという旗艦に突入して大損害を与えて司令官が替わった、っていうんでしょ。その新しい司令官がコースを変更したことが原因で、日本軍が大船団を見失ったということなんですけどね。ある本では日本軍は183機の特攻機を出したけど、輸送船団を発見できないまま、ほとんどが撃墜されたと書いてある。ネグロス島なのかパナイ島なのか上陸地点がはっきりしない輸送船団を、アメリカ軍がこっちの別な島に上陸するように見せかけたっていうんだけど……そういった細かい点は当時の私には分かりません。それで結局、敵の輸送船団はその翌日ミンドロ島に上陸します。だから、あの付近にいたことは間違いない。ネグロス島だとかスール海だとかね。だけれども1隻も見つけられなかった…。
捕虜収容所で一緒だった海軍の士官候補生が、日本に帰って来てから調べてくれたんですが、海軍もあのとき我々と同じ目標に対して、特攻機そのほか約40機を出撃させたんだけれども、結局、敵の輸送船団は発見できなかったそうです。そしたらマニラの上空で、敵の戦闘機群と特攻機群が遭遇したという記録が海軍に残っているそうです。あれについては日本軍の特攻機183機と書いてありましたがね。飛び出したけど大半が撃墜されたと。その中に我々菊水隊の9機も入っているんだろうと思いますね。まあ我々の方でも、特別攻撃隊というものの存在について、ほとんど事前に知識はなかったから。ただ《体当たり》だと。普通、そんな特別に爆弾を抱えて直接体当たりするようなことをしなくても、大暴れして弾尽き矢折れ…(笑)、もうどうしようもなくなれば自爆ると、敵の陣地に突っ込むというのは、これは昔から特別攻撃隊なんて言わなくても、空軍の兵士の最期の死に方としては、それが当たり前だったんですよ。それを特別攻撃隊というような形でもう…。私らは3000時間くらい乗っているわけだから中堅パイロットでしょ。後の沖縄戦の頃の特攻隊員のように、飛行時間も少ないのにブーツと離陸すればあとは体当たり、では戦争になりませんよ。やり方としては一番ダメな末期的症状でしょうね…。