特攻インタビュー(第2回) その8
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陸軍航空特攻 中村 眞 氏
◆満州でいよいよ実施部隊へ(1)
--------浜松にはだいたい半年くらい、その後に満州の方へ向かわれたのでしょうか?
中村‥そうです。満州の関東軍に単身赴任という形で行きました。
--------最初は船で行かれた。それから列車を乗り継いで赴任したという形ですか?
中村‥そうです。満州は初めてで朝鮮を列車で縦断して行きました。鎮東にあった教導飛行第九五戦隊という隊です。そこへ着いた途端にやらされたのは、洗面器に水を汲んできて両手を浸けてハイって上にあげて、それで触感がなくなったらお湯の方にバッと手を入れるという動作でした。その触感がなくなるときが凍傷になるときだからっていうようなことを教わりました。
--------凍傷にならないように、まず身体で感じさせたのですね?
中村‥そう、体で覚えさせるということなんです。
--------今まで日本国内の内地部隊にずっといたのが、満州という外地の最前線の部隊に派遣されて、これは部隊の雰囲気が違うなということはありましたでしょうか?
中村‥実施部隊ですから下士官室という部屋を貰います。そこでパイロットの下士官4人くらいが部屋に住むようになりました。それまでは浜松の《修行者》たちと、20人なり30人なりが一緒に暮らしていましたから。これでようやく下士官になったということでしょうね。
--------基本的に教導飛行第九五戦隊では、ソ連と戦うための訓練ということだと思うのですが、重爆の場合、どんな訓練をされたのでしょうか?
中村‥重爆というのは本来、高度6000~7000mの高度で編隊を組み、上空を戦闘機に守られながら飛んで高高度から…例えば満州国黒竜江の鉄橋だとか、あるいはシベリア鉄道だとかを射程に考えて爆撃するというのが任務でした。訓練は奉天に爆撃場がありまして、私らパイロットの方は、どんなときでも飛行機を揺らさないよう水平飛行ならそれをきちっと同じ高さで保ち、同じ速度で飛び続けるというような訓練が多かったです。
--------実戦の場合は、戦闘が始まると水平飛行と言ってもそう簡単ではないのでしょうけれども、やはり訓練のときでも水平飛行を保つことは難しいのでしょうか?
中村‥飛行機の場合、ちょっとでも傾けば角度が違ってきてしまい爆撃が難しくなります。前方の爆撃手が伝声管で「進路何度で入れ!」と指示し、爆撃手とパイロットが連携して直線コースで入ってゆき爆弾を落とします。それには爆撃手が照準眼鏡を覗いていろいろ測定します。斜めに風が吹いていればそっちに流されます。これを偏流測定と言いまして、右から斜めに風が吹いていれば、こちらへ流されてしまうので、右斜めに機首を向けて(手振りで)こういう形で修正しながら進んでいくわけですね。そんな指示が伝声管で爆撃手から操縦士に入ってくるわけです。それに従って羅針盤・姿勢指示器・その他をチェックしながら、速度・高度を常に一定に保てるようにする訓練がありました。
--------よく陸軍の場合には海軍と違って、その頃はまだ洋上航法とか天測航法とかをやっていなかったので、航法士は飛行機には乗っていなかったので全部操縦士がやっていたのでしょうか?
中村‥大型機が航法をやる場合は、航法士が乗っていました。