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[No.307]
Re: 命の大切(3)
投稿者:
投稿日:2007/09/03(Mon) 11:25
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のぞみさま
記事の302は、削除させていただきました。
ご面倒をお掛けして済みませんでした。厚く御礼申し上げます。
さて、今回投稿させて戴いた「命の大切(3)」は日頃愛読し
ています故・池波正太郎氏の本からヒントを得たものです。
決して、私如きのオリジナルではありません。
また、判ったようなことを書いて汗顔の極みです。
今、図書館から借りた、氏の作品集「刃傷」を読んでいます。
1992年初版の短編時代小説集です。
その中で、「南部鬼屋敷」というのがあって、
感動で涙ぐんでしまいました。
まさに、私心を虚しくするとは、こういうことをいうのかと
思い知らされました。武士道の世界を垣間見た思いがします。
ご一読の価値があるかも知れません。
ではまた、よろしく。
[No.306]
Re: 命の大切(3)
投稿者:のぞみ
投稿日:2007/09/03(Mon) 10:29
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藤井さん、始めまして、えーさん、こんにちは
いつもありがとうございます。
この会議室世話役の のぞみ と言います。
> もしそうなら幹事のほうで削除していただきますが
藤井さんからのメールをいただきましたので
記事の302は、削除させていただきました。
> またご自分でも暗証キーを打っておられれば
> 下のほうの処理欄で削除ができますよ
はい、えーさんの説明にもありましたように
投稿の際、暗証キーを入れて アップすると
あとから、ご自分で 削除もできますので
一度、お試しください。
これからもどうぞよろしくお願いします。
悠々世代世話役のひとり のぞみ
[No.304]
Re: 命の大切(3)の修正版
投稿者:えー
投稿日:2007/09/02(Sun) 22:11
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藤井さん
いつもありがとうございます。
ところで 記事の302は削除されたいのでしょうか
もしそうなら幹事のほうで削除していただきますが
またご自分でも暗証キーを打っておられれば
下のほうの処理欄で削除ができますよ
えー
[No.303]
命の大切(3)の修正版
投稿者:
投稿日:2007/09/02(Sun) 14:14
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申し訳ありません。前篇の不備を直しました。いかがでしょうか。
「人間というもの」 2007.7.1〜9.2
人間については、色々の作家が書いている。これ等に共通していることがある。人間というものは、ただひたすらに、このことの為に生きてきたように思う。人間の営みは多岐にわたり本質が判りにくくなっている。あらゆることはこの為にあるように思う。諸々のことをそぎ落とせば、このこと一点が残るように思う。
それは、男と女がいて、愛し合って子供が生まれる。子供の自立のために、あれこれと親が心配をする。ただこのことだけで、世の中が動いている気がする。親は子供の不幸を望まない。これに優先できるものが果たしてあろうか。このことが政治・経済の本題にもなる。自然界をみると例外はあるが、ほとんどの生物はこの形態を採っている。最も象徴的で潔いのは昆虫類や魚類であろう。
この形態をさまたげる行為は法律の有無に関わらず改めるのが自然の法則と思う。環境破壊もイカサマの食品加工も農薬も過重労働も少子高齢化も拝金も戦争や核兵器もこの観点からみるとおかしい。人間はひたすら子供の為に生きる。親も子もたとえ横道にそれても、ふと我にかえって、自分を取り戻す。
これが人間の根本原理であり、人間の本質のように思う。あとのことは贅沢というもの。どんな美男美女でも、教養のある紳士淑女でも、あられもないことをする。これを封印すれば、今日の少子高齢化の騒ぎではない。人類の滅亡である。ただ、このことは暗黙の了解であって、秘密裏に行うのが慎みというもの。現代はこの慎みを邪魔者にして、社会を乱している。
そして何人も死を前提に生きている。これは人間の大原則である。代々生きてきたからには、先祖への感謝と子孫への慈しみは理の当然である。そして、生きる目的の為には、生き方の問題がある。生き方の為には金と心がある。当然に金と心の目的にとって、手段がある。つまり金の儲け方と心の持ち方である。村上ファンドの村上世彰氏が金儲けの何処が悪いかと言ったが、金儲けは決して悪くない。しかし、金の儲けの手段に問題があることに気付いて欲しい。ホリエモンも似ている。この辺は東大でも教えないようだ。ただ、金儲けをして生きて死ぬだけでは、それ程意味がない。魂の進歩がなければ、生きる意味が薄い。生老病死や欲望の苦しみは、魂の進歩の為にあると思う。これは避けて通るより、乗り越えることで充実感がある。これが自然の法則ではないか。
人間は一見、不完全のままに見えるが、完全を目指して生きている。人間にとって、魂にとって、人生は一度ではない。これが、いわゆる輪廻転生説である。これはいまや実証されつつある。人生が一度きりでは、自分だけを考えて、やりたい放題で終わればよいことになる。人間の進歩にとって、肉体による生老病死は手段として貴重である。従って他の人生も当然貴重になる。自他を卑しめ、命を奪う権利は何人にもないことになる。「自分だけがよければよい」という個人主義や競争原理は、結局自分の首を絞めてしまう。他の為に働くのが自分の為になる。直接的な私利私欲ではない。
人間にしか出来ない大事なことがある。それは「感謝」であろう。現在あるのは自分一人の力ではない。これまで育み、慈しんでくれた親や先祖や万物のお蔭を忘れてはいけない。親や先祖を恨むなどは、もっての外である。他の生物はいざ知らず、これは人間にしか出来ない誇るべきことである。
さらに追加すれば、人間は割り切れない矛盾の上で生きている。人間は今や神の領域に入らんと言われる。原子力を発見し、殺戮の為の核兵器と人類に良かれと願った原子力発電を開発した。未だに放射能の後始末も出来ない。夜叉と菩薩が共存しているのが人間であろうか。子供が大人に成長する過程で、この矛盾をよく認識させておく必要がある。親も、学校も、社会も、この点をよくわきまえておきたい。
また、人間は誰しもよくなりたい、よくしたいと思って生きている。多少の矛盾や不完全があっても、いちいち、とがめるのは不幸で、且つ自己矛盾でもある。誰しも進歩の過程にある。大らかに許す度量もいる。しかし、止めさせることは断固として止めたい。怖くて、それも出来ないことが間々ある。歴史の判断に任せる前に、出来るだけの手を尽くすのが人間の知恵であろう。かく、矛盾があっても生きられる人間は不思議と言わざるを得ない。
以上を要約すると、「生きる」とは、子孫を残す、そして魂の進歩、人智を尽くして潔く天命を待つ、の三つということになる。子供が自立した我々世代には最早、後者しかないと思われる。いろいろと考えてみたが、人間というものは、判った様で実に判らない。何故、宇宙に人類が誕生したのかも判らなくなる。ギリシャ・哲人のように、判らないことが判ったとしか言いようがない。
[No.301]
宇宙の中心は人間
投稿者:
投稿日:2007/08/29(Wed) 21:58
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[No.300]
Re: 終戦記念日にあたって
投稿者:藤井
投稿日:2007/08/29(Wed) 08:24
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人に左右されずに自分で考える、人間として持つべき正義の何たるかが正しく理解
でき、人の意見をきちんと聞ける日本人になりたいですね (* -。)モウオソイカ
会長さんのコメントを何度も謹んで読み返しています。沈鬱なお気持ちが伝わってきます。それにも関わらず、メロウ倶楽部の運営にご尽力される勇気に感動を覚えます。理屈ばかり捏ね回している自分が恥ずかしく思います。今回の英訳は拙いものですが全力を傾けました。お役に立てれば、小生にとってこの上のない幸せです。今後とも、お役に立てればと思います。死よりも生に、より感動を覚えます。死にも感動はありますが、「生きる」には否定出来ない感動があります。人間本来の感情なんでしょう。生は死の為にあり。死は生の為にあり。人生で一度しかない、生と死を上手く使いたいと思います。もっとも、私の仮説的理論では、人生は繰り返し何度でもあると思っていますが。語る機会があればと思っています。ご健闘をお祈り申し上げます。
藤井拝
[No.299]
Re: KYとND(2)
投稿者:藤井
投稿日:2007/08/28(Tue) 18:18
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私は「テロ特措法」の延長に必ずしも賛成ではありません。米国の軍国主義に加担して、正当化する恐れがあるからです。といって、国家の防衛に上手い案がある訳ではありません。ただ、平和的手段を検討して米国に具申するしかないと、漠然と思うに過ぎないのです。どうすれば、国家の自主独立の宣言が出来るか悩ましいところです。
元防衛庁長官の石破氏はくぐもった声で、よく言います。安倍総理の言葉には心に響く物がないと。私も一国の政治を預かる者には国民の心を揺さぶる信念と情熱が欲しいと、かねがね思っています。ワンフレーズ絶叫型の小泉劇場に国民は多くの期待を持ちました。「郵政民営化無くして、改革なし」と。国民に痛みを求めた構造改革路線は大丈夫でしょうか。確かに、自民党はおおよそ壊れ、国民に痛みはあった。依然として、政治家や官僚の襟を正す姿勢が見えて来ません。
長州出身の安倍総理に国民を納得させるに足る強い信念と情熱を見せて欲しいと思うのは自分だけでしょうか。祖父・岸信介元総理の「日米安保条約」延長や佐藤栄作元総理の「沖縄返還」を上回る大きな視野を期待するものです。
いずれにしても、「テロ特措法」では、小沢代表と石破氏の心に響く挙動に注目したいと思います。
[No.298]
Re: KYとND(2)
投稿者:藤井
投稿日:2007/08/28(Tue) 10:05
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師弟関係について
師弟関係について、いささか愚考を述べてみます。師と仰ぎ、教えを乞う。厳しいながらも、愛情を込めて教える。心技体の中で、心の部分が濃厚な関係ではないでしょうか。
これは相撲界に限らないと思います。小生は、これまで教えられたことは沢山ありますが、残念ながら仰ぎ見る関係はなかったように思います。ただ、高校時代に教えを受けた各教科の先生方の情熱には、今でも頭が下り、興奮を覚えます。わが人生で最も情熱を燃やした時代だったからです。それは、昭和32年〜34年の広島大学付属福山高校です。県下有数の進学校でもありました。当時、物資も少なく貧困でした。荒廃から立ち上がらんとして、師弟が情熱に燃えていました。英語や数学や物理や国語や漢文や人文地理の先生の顔が今でも目に浮かびます。貧困や空腹を紛らわすような情熱でした。それまでは東大、京大合格が毎年1〜2名程度でしたが、わが学年は東大に10名、京大にいたっては20名は超えたと思います。ライバルにも恵まれて、大変仕合わせな青春時代だったと思います。人生に悔いなし。もっとも、学力だけが全てではありませんが。
古い話ですが、といっても、150年ほど前の話です。幕末長州の松下村塾では、27歳(?)の吉田松陰が三代目の塾頭に就いて、塾生に言った言葉です。「一世の奇子にあいて、わが頑鈍を磨かんとするなり」と。弟子にも尊敬の念で、呼び捨てにしなかったそうです。また、愚鈍な弟子の良い所を探して認めたそうです。決して悪い所を直そうとはしなかったとも言われています。維新前後で活躍した高杉晋作、伊藤博文、山形有朋ら逸材を多く輩出しています。伊藤や山形等は、若年時には箸にも棒にも掛からなかったそうです。後も長州から、多くの歴代総理が出ていますが。
師弟関係とは一体何でしょうか。よく判りません。諸先輩のご意見を。
[No.297]
Re: KYとND(2)
投稿者:藤井
投稿日:2007/08/28(Tue) 07:15
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> もともとお相撲取りに人格が高邁なかたがいたとは
> 思っていませんが
> 違ったでしょうか?
面白い問いかけでしたね。結構、勇気が要ると思います。このご意見で、色々と相撲界の過去が芋づる式に判ってきましたね。戦後でも、名横綱と言われた人達は自らを厳しく律し、心技体の完成を目指したように思われます。
それにしても、モンゴル帰国に親方が同行する(?)とは意図が判りません。伝統ある相撲道を守りたいならば、毅然とした態度がいると思いますが。たとえ、封建的といわれても、師弟制度には、新しい民主主義や過保護は似合わないと思います。
[No.296]
Re: KYとND(2)
投稿者:
投稿日:2007/08/28(Tue) 05:17
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白兎山人さん、みなさん、今日は
> > もともとお相撲取りに人格が高邁なかたがいたとは
> > 思っていませんが
双葉山は立派でした。
自ら律して
待ったは絶対しない、相手に突っかけられたら、いつでも受けて立つ。
はたき込み、肩すかし、張り手、絶対しない。など
それに比べて最近の相撲は引いたり逃げたりが多い。
内舘牧子は相撲審議会の委員ですが彼女の意見はいつも厳しくて面白い。
KAME(亀井)
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