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表参道が燃えた日(抜粋)-山の手大空襲の体験記-

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通常 表参道が燃えた日(抜粋)-山の手大空襲の体験記-

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2009/5/17 8:49
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 表参道が燃えた日
    -山の手大空襲の体験記-

 はじめに

 スタッフより

 この記録は「表参道が燃えた日-山の手大空襲の体験記-」からの抜粋です。

 ここでは、編集委員会及び執筆者の皆様のご了承をいただいたもののみを転載させていただいております。

 また、写真・挿絵につきましても作者の方のご了承を得て転載させていただいております。









 表紙カバー表
 「ケヤキの道」木村万起
 (油絵162×97cm)

 表紙カバー裏
 2007年12月の表参道





















(写真 みずほ銀行前の灯籠。下段は 灯籠の台座)



 はじめに

 昨年の一月、明治神宮表参道から青山通りに出る銀行前に小さな追悼碑が建ちました。かつての空襲で、多くのかたがたがこの場所で非業の最期を遂げられたのです。銀行の外壁に残された人の手の跡や脂の黒いしみも建て替えや道路工事でなくなってしまいましたが、唯一参道入口に立つ灯籠の台石に焼夷弾で削られた痕が残っています。追悼碑は犠牲になったかたがたの霊を悼み、再び争うことのない平和な世界を祈るものです。

 思い出のつまった街や家を失い、大切な人を一夜にして奪われた人たちは、戦後六十年を経て、華やかに変貌していく表参道を目の前にし、複雑な思いでした。あの惨禍を忘れてはいけない、次の世代に語り継がねばと、署名を集め、追悼碑を建てました。その時寄せられた何通かの体験記がきっかけになって、このたび文集を発行することになりました。

呼びかけに応えて文章を寄せられたかたがたは、当時中学生か女学生だったかたがほとんどで、今や七十歳以上になられています。戦争を実体験で語ることができる最後の世代ではないでしょうか。この地に住み、学び、今も住んでおられるかた、離れられたかたが六十年間胸の中に閉じ込めておいた恐怖の、痛恨の思いを綴ってくださいました。

 東京の空襲といえば三月十日の大空襲が報じられ、山の手空襲についてはあまり語られることがありませんでした。青山・表参道周辺の限られた地域の体験記ですが、空襲を体験されたすべてのかたの気持ちに通じるものと思います。

 執筆いただいた皆さま、および四人のかたの文章を一部転載、加筆させていただいた青南小学校三十六回同期会文集「あの頃 青山・青南時代」の編集発行人にお礼を申し上げます。

 イラストレーターの穂積和夫氏には、ご多忙のところを挿絵を描いていただき、大変感謝しております。

 二〇〇八年一月

 編集委員(五十音順)  榎本 新一
                児玉昭太郎
                谷 美和子
                長崎美代子
                比留間柏子
                増間 加代



 編集にあたって

一、体験記の配列は、表参道と青山通りの交差点付近を第一のグループとし、順次その周りへとグループを分けた。それぞれのグループ内も中から外へ広がる形で配列した。

二、執筆者の戦災時の住所を、文末に当時の住居表示で記した。執筆者の希望により現在の年齢などを記したものもある。

三、体験記の内容で明らかな事実の誤りについては訂正したが、その他については原文どおりとした。

四、漢字、かなづかいについては、なるべく当用漢字、現代かなづかいを採用した。現在あまり使われていない熟語についてはルビをふった。

五、各グループごとの地図は、昭和十六年日本統制地図(株)発行の地図をもとに作成した。


 二版発行にあたって

 初版を読まれたかたたちから、もっと多くの人に戦災の惨禍を知ってもらいたいという要望が寄せられ、初版発行後二か月で版を重ねることになった。二版発行にあたっては、焼夷弾分解図など、付録の一部を新しい資料にもとづいて訂正した。二版は定価をつけ、ひろく販売することにした。
       
 二〇〇八年三月

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