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表参道が燃えた日(抜粋)-原宿・穏田・表参道・6

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通常 表参道が燃えた日(抜粋)-原宿・穏田・表参道・6

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/5/28 20:26
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 五月二十五日の記憶
           谷 俊彦

 昭和二十年、忘れられないあの年、私たち家族は渋谷区穏田町、東郷神社と道を隔てて筋向いあたりに住んでいた。当時、私は二十三歳。肺の病気を患って、召集されたものの身体検査で不合格となり、家に帰された後は働くこともままならず、好きな絵を描いたりしながら、母と七歳下で中学五年生の弟といっしょに暮らしていた。

 五月二十五日、夜十一時頃だっただろうか。ちょうど寝ようとしていたら、空襲警報が聞こえてきた。もうその頃には連日のように警報が出ていたので、「またいつもと同じで、たいしたことはないだろう」と弟と話しながら布団に入っていた。ところが、しばらくすると、いつもとは様子が違い、外が騒々しい。弟に声をかけ、いっしょに物干し台に上って見てみると、目黒方向に火の手があがり、空が真赤に燃えていた。見ているうちにも火の勢いはどんどん強くなる。

 これはただごとではない、と思った私は、すぐに母を安全な所に避難させるように弟に言いつけた。はじめ明治神宮の杜の方向へ向かおうとしたが、参道の近くにまで火が迫ってきていたので、近くの東郷神社へ母を連れて行かせた。外に出て周りを見ると、町会長をはじめ一緒に防火訓練をしていた隣組の人たちは、もうすでに逃げたあと。それでも、火から我が家を守らなくてはと、母を避難させて戻ってきた弟と二人で、火たたきで火を払い落とした。無我夢中だった。けれども、しばらくするとザァーッと音をたてながら、焼夷弾がまるで花火のように落ちてきた。危険が迫っていた。もう家を守るどころではない。一刻も早く逃げなくては、と母がいる東郷神社に向かおうとしたが、バス通り(今の明治通り)のあちこちも燃えていて行き着くことができない。しかたなく、青山通りのほうへ逃げようと、家の前を流れる穏田川を渡ろうとしたが、すでに橋が落ちてしまっていて渡れない。そうこうしているうちに、我が家の前の家に焼夷弾が落ち、勢いよく燃え出した。このままでは我が家も燃えてしまう、と弟と二人で必死で火を消そうとした。闇屋だというその家の主人が、両手を挙げて大声で何か叫んでいた姿が目に焼きついている。

 もうどこにも逃げられそうにない。目の前の穏田川に飛び込んだら、何とか助かるだろうか?ふとそんな考えも頭に浮かんだが、三月十日の下町の大空襲で、川に飛び込んだ大勢の人が亡くなったことを思い出して、踏みとどまった。今考えると、臆病者の私にしては我ながらよくそんなに冷静に判断できたと思うが、その時は不思議なほど心が落ち着いていた。どうしようと思いながら川のほうを見ていたら、下水管が目に入った。下水管の中にはすでに何人か人が入っていて、最初はこれ以上は無理だと断られたが、「すぐそこの家に住んでいるんです」と頼むと何とか入れてくれた。

 あとで聞いたら先に入っていた人たちは、渋谷の方から穏田川の中を通ってたどりついたのだとか。これで火から逃れられたかと思うまもなく、目の前の大邸宅が燃えて下水管にどっと煙が入ってきた。煙にむせながら、この煙にまかれて死ぬのかな、と一瞬覚悟したが、家が焼け落ちてしまうと煙もようやくおさまった。

 身動きもままならない下水管の中で、腰まで下水に浸かりながら外を見ると、畳やトタン屋根が、燃えて火の粉をまき散らしながら空を飛んでいる。そして、ものすごい勢いで穏田川の中に落ちていった。まるで竜巻のようだった。もし、川に飛び込んでいたら、とても助からなかっただろう。

 そして、ようやく夜が明け、弟が東郷神社に逃げた母を呼びに行った。母の顔はすすで真黒だったが、ともかく無事だった。焼けた我が家に戻ってみると、不思議なことに、画集や本が積み上げられたままの形で灰になっていた。手で触れたとたんに、ハラハラと崩れ落ちた。もう一つ、兄が弾いていたピアノのピアノ線だけが残っていた。まわりを包んでいた木はすっかり燃えてしまい、ピアノ線だけがくっきりと形を残している。まるで人の死骸のようだ、と思ったことを覚えている。

 同潤会アパートで乾パンの配給があると聞き、取りにいったときのことは、六十二年経った今でも昨日のことのように思い出す。参道にころがる焼け焦げた無数の死体。人であった面影はなく、まるで枯れ木のようにころがっていた。言葉では言い尽くせない、むごい光景だった。
                              
 (渋谷区穏田一丁目)

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