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表参道が燃えた日(抜粋)-原宿・穏田・表参道・5

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通常 表参道が燃えた日(抜粋)-原宿・穏田・表参道・5

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/5/27 18:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 紙一重の
        宮城 昭子

 昔と異なる表参道の賑わい、欅並木の緑の連なり、思い思いの服装で、その下をゆくカップル、そして少々目にあまる光景も。渋滞する車の列、隔世の感あり。

 少女時代、代々木練兵場(現代々木公園)へ演習にゆく兵士の隊列を頼もしいと、見送った。

 人通りも稀だったし、車などほとんど通らない広い道だった。敵機襲来におびえて、樹間の壕にうずくまっていたこともある。そしてあの五月二十五日夜半、焼夷弾にさらされた記憶。

 父も母も東京生まれ、東京育ち。双方の祖父母も江戸っ子で、疎開する田舎も、知己もなかった。当時の住いは、表参道からちょっと入った住宅街。庭の粗末な防空壕で難を避けているつもりだった。空をきる鋭い擦過音、焼夷弾の地を揺るがす落下音。黄燐油脂焼夷弾が炸裂し、狐火のような青い火が飛び散り、付着した物が燃える。屋根が、板塀が焔をあげる。家の中に入ることもかなわず消火のためのバケツだけ持って、火災のおこす強風の中、明治神宮の森へとーー、芽吹いた欅が逆さにたてて火をつけたように燃える下をくぐって走った。幸い家族四人怪我もなく逃げのびた。表参道の中頃にあった家から、わずか神宮の森が近かった。青山通りをへだてた青山墓地を避難先にと目指した人も多かったようだ。わずかの距離の差で私たち親子は無事だった。表参道と青山通りの交わる角の銀行。火に追われた人々が、銀行の入口付近で焼死した。入口を開けなかったからだとの噂を耳にした。その非情さを憤った覚えがあるが、今にして思えば、入口を開けていたら、火が中に燃え移って、入ろうとした人はもちろん、中にいた人たちも、命を失っていたかもしれない。三月の東京下町のビルの中で逃げ込んだ人々が蒸し焼きになったという話も伝わっていた。開けるか、開けないかの判断が、人の生死を分けた。

 焼死した人の無念は言うにおよばないが、銀行で助かった人々の思いは、どうなのだろう。生きのびた安堵とともに、拒んで死に至らしめたという思いの間で、気持ちが揺れ動き、悩んだのではないだろうか。残酷な選択。その後の人生に陰を落としていたのではないかと、気になる。紙一重の運命の別れ道。戦争の悲惨さを、いま改めて思っている。

 (渋谷区穏田一丁目)

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