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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・12

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・12

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/9/20 8:44
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 これが巣鴨戦犯プリズンだ

 捕虜収容所長の獄中日誌(その1)・1

 大阪捕虜収容所多奈川分所長、倉西春次郎中尉が終戦後、巣鴨の獄舎に収容された五か月間のさまざまな辛い思い出、初の体験を日記に残している。後編はその「獄中日誌」でこの項は「その1」 である。
 「十二月四日 火曜日 小雨 19・30旅館(慣行社第一別館)を出る。大竹所長、長原大尉(付添)と僕と三名、20・32名古屋発東京行に乗車、Whiskyの為か良く眠る」
 日誌は、終戦の昭和二十年(一九四五)十二月五日、巣鴨拘置所に収容された日から書き始めた。
 文初の「十二月四日」となっているのは、翌五日、拘置所に入って記したものでこの日の欄外に「昭和二十年十二月五日巣鴨刑務所独房にて此の日誌を書き始める」とある。十二月四日は、GHQの呼び出しで巣鴨に向かった日だった。

 「五日 水曜日 晴 05・30東京駅着。(中略)…(第一復員省=元陸軍省=に寄り、大阪捕虜収容所長、村田大佐ら数人と準備されたバスで巣鴨拘置所へ)。玄関脇の室にて約三十分待たさる間、昼食の〝ト一口ク豆″〝ミンチ″を摂《と》る。14・30漸く呼び入れられ所持品検査。リックサック、トランク底迄覆《くつが》へし検査。全裸体にされポケットの中等隈なく検査。金は七百円余り所持し居たるを六百五十円取られ、六十円余り財布に残す。刃物、安全剃刀《かみそり》の刃迄リュックサックと共に預らる。其他全紐《ひも》類、カラーも引上げ。裸に紫色のガウン一枚渡され、之を着て身体検査、注射、種痘をやらる。バンドを取られし為ズボンずり下りて困るので引上げつつ、バラバラにされたる手持品を抱えて監房に連れて行かる。三階17号なり。三畳間、ドアと対して窓、天井より電灯一、机上にも畳にも埃白く溜り居る。机上に布団二、毛布一、タオル一、インクスタンド、ペン、便箋、封筒二 (American・Red・Crossと朱書せる洋封筒、陸軍と印刷された和封筒)」

 このあと入所第一日日の行動が詳述されている。「三時より体操とふれて来る。室の前に並ぶ。体操と言ってもビルディングの間の空地をグルグル歩くのみ。廻っておる中、峰本軍曹、竹中大尉其他大捕(大阪捕虜収容所のこと) の人々に逢ひ話しながら歩く。二階の窓より網の「中から荒木中尉、野須軍医等大捕の人々を覗きてうなづき合ふ。完全にPrisonerになり居る自分及旧知の人々を発見す。峰本によると階下には荒木大将、小磯大将、白鳥大使等も我々と同一監房に居らるる由。峰本は実によき話相手なり。17・30夕食。MPはChowと称してドアを開けて廻る。机上の丼茶碗《どんぶりちゃわん》と木碗《もくわん》と箸《はし》とを持ってドアの外に並び貰いに行く。飯とマカロニーとコーヒー1碗なり。各自室で食ふ。食後、食器を洗いに行く。鉄肋骨状の間から見える一階の伊藤、市川軍曹に話しかけて居るとMP来りて背を叩きNO・Talkingと叱る。夕食後机にもたれて日誌を書いて居ると心身共に疲れがわかる。二畳の狭い所に布団を敷き寝る。布団短く足冷え寝つかれず。注射の為か腕痛く頭も痛く熱出た様ですぐ眼覚める。夢ばかり見る」

 収容されて早々、旧軍首脳部の将軍連中とまったく同じ生活が始まったことに、世の様変わりを痛感した感想も見られる

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編集者 (代理投稿)

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