捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・27
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捕虜収容所長の獄中日誌 (その3)・7
二十二日の日誌をめくってみた。
「(中略)此の棟に元帥、大将は十名近く居るが真崎大将が最も魅力に富んでいる。佐賀人-素朴さ、人なつっこい変化あり。それでゐて毅然《きぜん》たる所あり。参謀次長時代、青年将校から信頼されたのも故ある哉。他の大将達は自分の生地を蔽《おお》ってゐる虚飾あり。荒木大将、畑元帥、西尾大将、土肥原大将皆然りである。
(中略)向ひ側の東條、豊田海軍大将、南朝鮮総督等は時々窓から見える丈で、其の性格等をつかむことは出来ぬ。隣室の梨本宮殿下は流石に御行儀よい。布団も丁寧に積み重ね室はいっも片付いてゐる。非常に明朗だ。太い飾り気のない声で誰とでも話される。僕も二、三回話しかけられた。朝、箒を持って廊下を歩いてゐると〝此の箒は米国製ですか〟と尋《たず》ねられる様な風である。昨日数名が不起訴で出所したと聞く」
このほか、梨本宮が看守にかけあって収容者全員の入浴時間が以前より長くなったこと、殿下は食事に関してもよく意見を述べられたこと、などの記述もみられる。
「二月二十四日 寒冷 本日の毎日新聞に依ると山下奉文大将は遂に二十三日、絞首刑の処刑執行された由。安藤氏日く〝山下は偉い男だった。立派な人だった。惜しい人を殺した〟と。
此の獄窓にあり将軍連の感懐や如何。山下大将処刑の様子は新聞所載UP特派員ウィルソン氏によって報道されてゐる。
軍装を差止められた大将は米陸軍のカーキ色シャツとズボン、緑の帽子を被《かぶ》り、悠々として絞首台十三段のステップを上った。頭巾でスッポリ顔を隠し首の廻りに綱輪をかけられてゐる。
此の綱は午前三時過 (日本時間午前四時二分) 引かれた。処刑に先立ち〝何か云ふことは″との間に大将は〝日本の平和を念願する。天皇陛下の万歳と弥栄《いやさか=ますます栄える》を祈り奉る″と述べた。これが彼の最後の言葉だった。彼は強烈な照明の下に通訳一名、僧侶一名に伴はれて絞首台上に運ばれた。死刑執行に先だち次の声明を残した。
余は軍人としての生涯を通じ最善を盡したこと固く信じてゐる。余は死刑に処せられたことに対し神の前に何ら恥づることはない」
ところで、巣鴨拘置所の住人も、多数が顔見知りとなり、期間も長びいてくると、気の合った人、利害得失の違いからそれぞれ〝徒党″のようなグループができてきたらしい。食生活にそんな結果が影響を与えて、不満がくすぶったありさまが描かれている。
「二月二十五日(月)晴 朝定刻六時になっても Jailor は錠も外さず電燈もつけない。七時になっても扉は閉ぢたままだ。二階や一階は既に飯を分配してゐるのに三階の Jailor 顔も見せぬ。八時頃漸く来た。掃除を後廻しにして飯だ。ところが起床後二時間して漸く貰った分配食は団子三個、汁はない。冷えてしまってゐる。昨夕食後正に十五時間の断食だ。そして団子が三つ。やり切れぬ。
二十二日の日誌をめくってみた。
「(中略)此の棟に元帥、大将は十名近く居るが真崎大将が最も魅力に富んでいる。佐賀人-素朴さ、人なつっこい変化あり。それでゐて毅然《きぜん》たる所あり。参謀次長時代、青年将校から信頼されたのも故ある哉。他の大将達は自分の生地を蔽《おお》ってゐる虚飾あり。荒木大将、畑元帥、西尾大将、土肥原大将皆然りである。
(中略)向ひ側の東條、豊田海軍大将、南朝鮮総督等は時々窓から見える丈で、其の性格等をつかむことは出来ぬ。隣室の梨本宮殿下は流石に御行儀よい。布団も丁寧に積み重ね室はいっも片付いてゐる。非常に明朗だ。太い飾り気のない声で誰とでも話される。僕も二、三回話しかけられた。朝、箒を持って廊下を歩いてゐると〝此の箒は米国製ですか〟と尋《たず》ねられる様な風である。昨日数名が不起訴で出所したと聞く」
このほか、梨本宮が看守にかけあって収容者全員の入浴時間が以前より長くなったこと、殿下は食事に関してもよく意見を述べられたこと、などの記述もみられる。
「二月二十四日 寒冷 本日の毎日新聞に依ると山下奉文大将は遂に二十三日、絞首刑の処刑執行された由。安藤氏日く〝山下は偉い男だった。立派な人だった。惜しい人を殺した〟と。
此の獄窓にあり将軍連の感懐や如何。山下大将処刑の様子は新聞所載UP特派員ウィルソン氏によって報道されてゐる。
軍装を差止められた大将は米陸軍のカーキ色シャツとズボン、緑の帽子を被《かぶ》り、悠々として絞首台十三段のステップを上った。頭巾でスッポリ顔を隠し首の廻りに綱輪をかけられてゐる。
此の綱は午前三時過 (日本時間午前四時二分) 引かれた。処刑に先立ち〝何か云ふことは″との間に大将は〝日本の平和を念願する。天皇陛下の万歳と弥栄《いやさか=ますます栄える》を祈り奉る″と述べた。これが彼の最後の言葉だった。彼は強烈な照明の下に通訳一名、僧侶一名に伴はれて絞首台上に運ばれた。死刑執行に先だち次の声明を残した。
余は軍人としての生涯を通じ最善を盡したこと固く信じてゐる。余は死刑に処せられたことに対し神の前に何ら恥づることはない」
ところで、巣鴨拘置所の住人も、多数が顔見知りとなり、期間も長びいてくると、気の合った人、利害得失の違いからそれぞれ〝徒党″のようなグループができてきたらしい。食生活にそんな結果が影響を与えて、不満がくすぶったありさまが描かれている。
「二月二十五日(月)晴 朝定刻六時になっても Jailor は錠も外さず電燈もつけない。七時になっても扉は閉ぢたままだ。二階や一階は既に飯を分配してゐるのに三階の Jailor 顔も見せぬ。八時頃漸く来た。掃除を後廻しにして飯だ。ところが起床後二時間して漸く貰った分配食は団子三個、汁はない。冷えてしまってゐる。昨夕食後正に十五時間の断食だ。そして団子が三つ。やり切れぬ。
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