捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・33
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思い出対談
覚えなき戦犯の汚名に泣いた旧日本軍人と・4
小林 巣鴨拘置所や刑決定後のご苦労は大変だったと思いますが、いろんなことがあったんでしょう?
峰本 ありましたが、何といっても、身に覚えのないことを理由に裁かれたことが残念無念でしたね。あそこではA級戦犯の小磯(国昭)大将らといっしょに入浴したことがあった。小磯大将は足を患っていたが、背を流してあげるとお礼をいわれた記憶があります。同じ戦犯の岸信介さん(元首相)にも偶然、会いました。あそこでは黒人兵は親切で、風呂でも新しい石鹸をしょっちゅう与えてくれたが、白人兵はどうもわれわれに敵意をむき出しにする者が多かったと感じました。戦時中、日本軍と交戦するなどして苦い経験があったんですかね(?)
小林 多奈川の捕虜収容所長だった倉西泰次郎・中尉には拘置所内で会われましたか?
峰本 会ったと思います。すばらしい人でしたね。気の大きな紳士で、捕虜からも慕われていたと思います。よい上官でした。
小林 その通りです。所長という立場上、収容所でのすべての責任者として戦犯の疑いありとされたんでしょう。私も積極的に運動しましたが、起訴される理由はない、善良な軍人、捕虜にも寛容で尊敬されていたということを証言する捕虜が相次ぎました。ガルブレイス少佐(J●M・GALBRAITH)、ブロードウォーター中尉(R・1・BROAODWATER)らはその中心でしたね。ついに不起訴となりましたが、当然でしたね。釈放後、私に「助命運動をしてくれた君に感謝する」と何度もいわれたが、その倉西中尉もいまは亡き人…戦後、よくマージャンをしに伺ったがご夫婦ともマージャン好きでした。私の中学の恩師でもあったんですから、余計に思い出が残っています。
峰本 そうだったんですか。日本側も捕虜側も戦後四十年以上経ったいま、亡くなった人も多いでしょうが、生きて元気に暮らしている人でも、随分変わり、会ってもわからない人が多いでしょうな。それにしてもあの当時の人びとのことは懐しいですね。
小林 峰本さんも戦後、ずーつとあとになって来日したコイル軍曹に会ったそうですが、私もイギリスのフロー中尉、アメリカのブロードウオーター中尉らに六、七年前に会いました。みんなすっかり変わった。ガルブレイス少佐のこどもには進駐軍で再来日した時、将棋を教え、すっかりよくプレーしたものです。奥さんも親切でした。終戦の時兵庫・生野の捕虜収容所でアメリカの捕虜幹部が 「こんなものを持っていてもすぐ役立たないから…」と、彼らのみんなの労働賃金(?) か毎月の給与(?) かの一部を日本の郵便貯金にしていた通帳を私に手渡した時にはびっくりしました。十五㌢ぐらいの厚さでしたが、一括して「お前が使え。これからは苦しい時勢になるからプレゼントするよ」と渡してくれた時には驚きました。相当な高額だったようです。もっとも受け取りませんでしたがね。(笑い)
峰本 そう、彼らの給与、労賃は毎月、きちんと処理していましたからね。捕虜にも国際赤十字を通じて給与はきちんとしていました。その点はよく守られていたんですが、収容所によって労働内容が違っていたんで、なるべくよい内容の収容所へ行きたいと、みんな言っていましたね。生野(兵庫) は鉱山作業なのでみんなきらっていたが、近くの吉原製油からいつも大量の豆をプレゼントされ、楽しみにしていた者が多かった。大阪市・市岡の収容所ではアルコール類が振舞われ、よく酔っ払っていたが、楽しそうでしたよ。多奈川では最初、栄養失調から一日に十人ぐらいの死者が出たが、すぐ改善されました。わたしらも彼らの食糧集めに必死でしたよ。
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編集者 (代理投稿)