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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・39

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・39

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/11/2 8:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 一つの戦争証言
      元捕虜が明かす恩情の日本軍人・2

 彼の捕虜収容所暮らしは、終戦(一九四五年=昭和二十年八月十五日)までつづいた。最初の収容所(大阪・多奈川捕虜収容所)の所長は倉西泰次郎・陸軍中尉だったが、ブロードウオーター中尉と彼との出会いは、そのスタートから〃近親感〃と〝畏敬《いけい=恐れ敬う》〃と〝信頼”に包まれていたようだ。「尊敬すべき紳士だった」とブロードウオーター中尉は倉西中尉を心から評価している。

 倉西中尉は、応召前、旧制中学校(現高校)で英語の教師だったというだけあって、私たち捕虜が収容所に入って最初に聞いた彼の訓示は、軍人らしからぬ、しかし尊敬に値いするものだった。この時から彼の温い人柄が、私の心に焼きついた。感激した。
 「あの場でわれわれに話すような内容ではなかった。(有名な英文学者であり作家の)ロングフェローの〝時の砂の上につけた足跡〃の一文を引用して、誠実な語調で話したのを、いまもはっきり覚えている」という。倉西中尉はロングフェローの一文を引用することによって「いまは困難な時節だが、たとえ捕虜生活の中でも決して自分自身を見失ってはならない。つねに祖国や祖国に残してきた親、家族のことを思い、その名をけがさないよう、冷静に落ち着いた生活態度を保たねばならない、ということをわれわれに話した。私たちは彼の意を十分、理解できました」と当時のことをふり返った。あの時、通訳がそばにいた。倉西中尉の話は日本語で行われ通訳を通して伝達されたが、中尉の知的な物腰、口調、経歴などから察すると、その通訳よりも上手に英語を使いこなせる人だと直観した。

 ブロードウォーター中尉の回想はまだまだつづく。「倉西中尉の捕虜への思いやり、心を砕《くだ》いてくれた行為は数知れない」〝図書館ができるくらい″たくさんの英語の本を入手し、提供してくれたこともその一例。〝西欧世界の没落″〝ローマ帝国の興亡″など有名な古典、哲学書など「捕虜にでもならなかったら決して読むことのなかった書籍をたくさん読みました」
 当時、収容所を管理する日本軍のなかに、敏捷《びんしょう》で多少、感情的な、小犬を連想させる伍長が一人いた。「吠える時は別でしたが、それなりに親切な人でした。捕虜菜園の種まきや手入れをせっせと手つだってくれました。この菜園でトマトやサツマイモ、その他の野菜を植え、おかげで貴重な栄養をとることができたのです」

 一九四一年六月にオレゴン州立大学工学部を卒業したブロードウォーター中尉は、予備役将校として数か月後には、それまで知り、愛し、体験したものとはまったく異質な国・日本と交戦、捕虜生活を余儀なくされた。収容所では日本人がみせる敵意、かずかずの障壁があったが、倉西中尉ら人間味あふれる人びともいたおかげで、こうした困難を乗り越えられる、と信じることができた。こうして時が経っていった。そのうちに日本語も断片的に覚え、ひそかに収容所に持ち込まれる日本の新聞が少しばかり理解できるようになった。生きることの大切さと自信も、日ごとにわいてきた。

 やがて戦争は終った。戦後、彼は同じように捕虜生活を経験した親友の元アメリカ陸軍将校の誘いでコカコーラに入社した。コカコーラに入ってからは、戦時中の体験地、フィリピンや日本を訪れ、最後には戦い終った新しい日本はもちろん、全世界に販路を持つ同社の経営責任者の一人になった。日本人と接する機会がふえ、日本人を知るにつれ、彼の日本人に対する尊敬と称讃《しょうさん》の念はいっそう増していった。そして強調した。「第二次世界大戦が始まる前に、もっと多くのアメリカ人がもっと多くの日本文化を理解していたなら、少くとも過誤のいくつかは防げたはずだ」
 彼は「日本文化」を独自の観察眼で理論づけている。孔子の思想は典型的に東洋的なものであり、聖アウグスティヌスの思想は西洋的なものの典型であるとして「この両巨人は、それぞれの今日の文化の基盤を築いた筆者であり、師である」と指摘。「東洋的なものの範疇《はんちゅう注1》に入る日本人は直観によって行動する傾向があり、西洋人は理性と論理にもとづいて行動する傾向が一般的だ」と分析している。聖アウグスティヌスをはじめ、カトリック教会の教父たちのほとんどは、人間を〝精神的な支えを必要とする創造物″とみなしてきた。だが孔子は〝人間の心の中には平和と秩序と人間性が生来、備わっている″とみた。だから「われわれ西洋人は、心の中に卑小《ひしょう注2》なもう一人の人間が宿っているとして、物ごとの決定に当たっては理性と論理に頼らねばならないのです。しかし、孔子的な立ち場で人間は生来、善良だとする場合には、他のどんな支えも不必要で、直観によって行動するということが容意に理解できます」この論法による洞察で、彼は日本人の行動様式を分析し、理解している。
 〝日本式経営″についても、この思考・行動様式が根本にあるとみる。つまり、孔子的な物の考え方は「性善説によってまだ最善を尽くす余地ありと、完全をめざして努力する人間は、その努力によってより優れた仕事が実現できるわけである」たとえば、労使双方とも合点がいかない場合、双方がベストを尽くしていないという認識をもてば、問題は容意に解決するだろう。「人間は完全な域に至らせ得る存在」とみれば、経営側は労働側を完全な域に達するよう労働させ得る。だからクォリティ・コントロール方式が日本で功を奏するのである。

 一方、アメリカでは、たとえ経営側が何をなすべきかわかっていても、それを労働側に知られたら労働側はその息の根をとめようと躍起になるだろうという。つまり、個人的見解による仮説として〝性悪説″をとっている。東洋的な視点に立つ日本と、西洋的な視点に立つアメリカの思考様式の違いが、双方の経営術、文化の違いにあらわれているというわけである。

 かっては敵であり、摘虜となり、ビジネスマンとなり、いまよき友であるブロードウオーター氏。いまはジョージア州の日米協会専務理事として、アトランタを中心に在住の日本人が日本国内で生活するのと同じように快適な暮らしができるよう、最善を尽くして奔走《ほんそう》する毎日である。四十年以上も昔、日本陸軍の倉西中尉の、通訳を通して話したロングフェローの引用のことばは、そのごの氏の心に、歩んだ道程に大きな影響を与え、すばらしいプラスとなった。
 「日本人は恐ろしくよく働く。そして恐ろしく良き兵士たちです」「私はいつも日本人の讃仰者でした」氏の体験と思索の結論は、ロングフェローの「時の砂の上につけた足跡」をじっくり読めば、うなづけるに違いない。
 《私(小林)のもっとも親しい友の一人、ブロードウオーターさんの洞察深い物の見方、考え方、そしてうるわしい日本人観、あふれる友情。心の底にジーンと響き、さわやかな彼の印象が、鮮やかに蘇《よみがえ》ってくる》

注1 範疇=同じような性質のものが含まれる範囲

注2 卑小=取るに足らない

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編集者 (代理投稿)

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