捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・14
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捕虜収容所長の獄中日誌(その1)・3
十二月九日には、収容されて初めて相当枚数の手紙、妻宛七枚、長女宛二枚、実兄宛五枚、友人宛二枚、計十六枚を一括、妻宛に出した。また、この日の新聞で山下泰文・大将がマニラ軍事裁判で紋首刑判決を受けたことを知り「山下大将自身、手を下したこともなく部下の将兵がやった残虐行為を見逃したというのだ」と特記している。捕虜収容所長として自分の立場に思いを馳せた不安がにじんでいるようだ。
さらにマッカーサーの顧問格で首席検事到着の記事掲載あり。愈々裁判が始まるらしい。此の棟の各階からも毎日数名宛、召喚され取調を受けて居る。やがて僕にも順番が廻って来るだろう。大森収容所に居た東條大将等も此処へ移って来たらしい。何とか早く解決して欲しいものだ」とあり。戦犯容疑者として無実を誓う倉西中尉の痛恨の心情が手にとるようだ。
この心情は十二月十一日の日誌でいっそう深刻に表現されている。「今日で此処へ来て一週間になる。手が凍へる。何ういふカドで逮捕されたか。何ういふ裁判を受けるのか。何ういふ判決を言渡され何ういふ結果になるのか全然判らぬ。不安が前途をおほい、心は暗澹《あんたん》たるものである。夜七時、何処かで監守のMPが口笛を吹いており鋭くこだまするのみ。森閑《しんかん》としてゐる。これ程淋しいことはない。(以下略)」
さらにつづく。「一体自分は処刑になるとしたら刑期を終へて出た時何うして妻子を養へばよいのか。入監中、家族は毎月給与を受けられぬとすれば、僅《わず》かの貯金を生活費に宛てるしか方法はない。鳴呼《ああ》、敗戦。世界戦史にかつて見ざる敗戦。何故日本は戦争をしたのか。軍閥や官僚の好戦熱に煽《あお》られ、或は日本が戦はねばならぬ動かし得ない理由があったのか。判らぬ。唯召集で軍服を着、命ぜられるままに捕虜収容所の分所長として捕虜管理に当ってきた。陸軍大将や大使と同様に取扱はれる覚えはないのだ。捕虜管理には苦労した。捕虜や連合軍、マッカーサー、或はその家族から感謝されこそすれ、捕虜虐待者として拘置され裁判される理由は毛頭見出せぬ」
独房の森閑とした淋しさ漂うなかで中尉は未来への恐怖と、過去の正義感あふれる人道行為が交錯して、憤りと正当な怒りが束縛された環境によって半ば愚痴ともなって爆発したのだ。
その胸のうち…さぞ無念だったろう。
十二月十三日には、ニッポンタイムス紙で梨本宮が前日、A級戦犯として巣鴨拘置所に拘留されたことを知ったと記している。「(中略)Prince Nashimo was brought to the prison by a representative of the Liaison Office. Dressed in a Japanese army Overcoat and cap, the mustached prince seemed resigned to his imprisonment.(中略)同紙は又安藤紀三郎、笹川良一等も巣鴨に拘引された事、及び本間雅暗中将が昨日、巣鴨を出て厚木飛行場からマニラに向った (同地で裁判のため) と報ず」
同十五日の日誌。「今日の新聞には愈々十二月十七日から横浜で裁判されるとある。捕虜虐待の為に告発された五名の名あり。此の五名は夫々捕虜の一名を虐待死に至らしめたと調書に出て居る。一体自分は如何なる理由で容疑者となったのか。そして何の位のrankingなのか。早く知りたい。此の五名とも部下の残虐行為を黙認したのが告発の理由の一に数えられている。…(中略) 昨晩、東條大将は自殺を図ったが未遂に終ったと、浅川が覗穴から知らせてくれた。big news である。今日も便通なし」 とある。
翌十六日からは新聞が見られなくなって、時間を過すのに困るようす、寒さのやりきれなさなどが、切々と述べられている。十七日の日誌には、底冷えを訴え、えり巻をしオーバーを着用、敷ぶとんの半分を椅子兼用の便器にかけ、半分を延ばして掛けぶとんを二つ折りにして敷き、その上に座って毛布をひざにかける。掛けぶとんの余った端を毛布の上からひざにのせ、片手を毛布に突っ込み、片手で本を持ち読書するという、苦心の防寒風景の描写も。「それでも手が冷え、今朝指が凍傷にかかっているのを知り手袋をはめて本を読む」とある。「寒くて仕方がない時はすぐ寝る。MPが消灯すると眠くないのに眠り、寒くてすぐ眠が覚める。それに空腹にはまいる。食ってしまえばすでに空腹となっている。飢えが如何に苦しいのかわかる」 ともある。
十二月九日には、収容されて初めて相当枚数の手紙、妻宛七枚、長女宛二枚、実兄宛五枚、友人宛二枚、計十六枚を一括、妻宛に出した。また、この日の新聞で山下泰文・大将がマニラ軍事裁判で紋首刑判決を受けたことを知り「山下大将自身、手を下したこともなく部下の将兵がやった残虐行為を見逃したというのだ」と特記している。捕虜収容所長として自分の立場に思いを馳せた不安がにじんでいるようだ。
さらにマッカーサーの顧問格で首席検事到着の記事掲載あり。愈々裁判が始まるらしい。此の棟の各階からも毎日数名宛、召喚され取調を受けて居る。やがて僕にも順番が廻って来るだろう。大森収容所に居た東條大将等も此処へ移って来たらしい。何とか早く解決して欲しいものだ」とあり。戦犯容疑者として無実を誓う倉西中尉の痛恨の心情が手にとるようだ。
この心情は十二月十一日の日誌でいっそう深刻に表現されている。「今日で此処へ来て一週間になる。手が凍へる。何ういふカドで逮捕されたか。何ういふ裁判を受けるのか。何ういふ判決を言渡され何ういふ結果になるのか全然判らぬ。不安が前途をおほい、心は暗澹《あんたん》たるものである。夜七時、何処かで監守のMPが口笛を吹いており鋭くこだまするのみ。森閑《しんかん》としてゐる。これ程淋しいことはない。(以下略)」
さらにつづく。「一体自分は処刑になるとしたら刑期を終へて出た時何うして妻子を養へばよいのか。入監中、家族は毎月給与を受けられぬとすれば、僅《わず》かの貯金を生活費に宛てるしか方法はない。鳴呼《ああ》、敗戦。世界戦史にかつて見ざる敗戦。何故日本は戦争をしたのか。軍閥や官僚の好戦熱に煽《あお》られ、或は日本が戦はねばならぬ動かし得ない理由があったのか。判らぬ。唯召集で軍服を着、命ぜられるままに捕虜収容所の分所長として捕虜管理に当ってきた。陸軍大将や大使と同様に取扱はれる覚えはないのだ。捕虜管理には苦労した。捕虜や連合軍、マッカーサー、或はその家族から感謝されこそすれ、捕虜虐待者として拘置され裁判される理由は毛頭見出せぬ」
独房の森閑とした淋しさ漂うなかで中尉は未来への恐怖と、過去の正義感あふれる人道行為が交錯して、憤りと正当な怒りが束縛された環境によって半ば愚痴ともなって爆発したのだ。
その胸のうち…さぞ無念だったろう。
十二月十三日には、ニッポンタイムス紙で梨本宮が前日、A級戦犯として巣鴨拘置所に拘留されたことを知ったと記している。「(中略)Prince Nashimo was brought to the prison by a representative of the Liaison Office. Dressed in a Japanese army Overcoat and cap, the mustached prince seemed resigned to his imprisonment.(中略)同紙は又安藤紀三郎、笹川良一等も巣鴨に拘引された事、及び本間雅暗中将が昨日、巣鴨を出て厚木飛行場からマニラに向った (同地で裁判のため) と報ず」
同十五日の日誌。「今日の新聞には愈々十二月十七日から横浜で裁判されるとある。捕虜虐待の為に告発された五名の名あり。此の五名は夫々捕虜の一名を虐待死に至らしめたと調書に出て居る。一体自分は如何なる理由で容疑者となったのか。そして何の位のrankingなのか。早く知りたい。此の五名とも部下の残虐行為を黙認したのが告発の理由の一に数えられている。…(中略) 昨晩、東條大将は自殺を図ったが未遂に終ったと、浅川が覗穴から知らせてくれた。big news である。今日も便通なし」 とある。
翌十六日からは新聞が見られなくなって、時間を過すのに困るようす、寒さのやりきれなさなどが、切々と述べられている。十七日の日誌には、底冷えを訴え、えり巻をしオーバーを着用、敷ぶとんの半分を椅子兼用の便器にかけ、半分を延ばして掛けぶとんを二つ折りにして敷き、その上に座って毛布をひざにかける。掛けぶとんの余った端を毛布の上からひざにのせ、片手を毛布に突っ込み、片手で本を持ち読書するという、苦心の防寒風景の描写も。「それでも手が冷え、今朝指が凍傷にかかっているのを知り手袋をはめて本を読む」とある。「寒くて仕方がない時はすぐ寝る。MPが消灯すると眠くないのに眠り、寒くてすぐ眠が覚める。それに空腹にはまいる。食ってしまえばすでに空腹となっている。飢えが如何に苦しいのかわかる」 ともある。
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編集者 (代理投稿)