捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・16
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捕虜収容所長の獄中日誌(その1)・5
十二月も終りごろには、手の凍傷がだんだんとひどくなって、かゆく痛く、眠れない日がつづく。このころ、一週間前に出したはずの家族への手紙が「多すぎる」とつき返され、あらためて紙数を少くして出すという、泣くに泣けない情ないハプニングもあった。こんなことも重なって、折りにふれ、捕虜の為に真面目に努力したのに、罪人としてあらゆる自由を束縛し、家族を飢餓に追ひやって見殺しにするとは、何ういふ《う》ことか。戦争とは何か。一体誰が責任を負ふべきか。この点を深く考へて見ねばならない」と記す。
「寒燈《注1》や泣かんとすれど涙滑《すべる》る」
十二月二十八日には「一番に裁判を受けた五人の中、東京の軍属に遂に終身懲役の判決あり。
此の判決は現在此処に拘置されて居る者の心を可成り暗くした。僕は心を暗くすることはないのだが。それでも理由もなく心を暗くする。此処に来てからはたまらなく妻の緑と娘ミネ子の二人の事が想はれる」と。
「十二月二十九日 土曜日 晴 (中略)…今日此の階の小林といふ通訳に多奈川で撮影した所員の写真を示し、同通訳が多奈川に居たか否かを尋ねたとの由。察するに小林一雄が僕の為に特別弁護人に立つと言って呉れた事は塔本先生から僕の入所前に聞いてゐた。其の事に関連して同姓の小林通訳を呼んで聞いたのだろう‥・(以下略)」
さらにつづけて「とにかく何か自分を調査してゐるとすれば裁判も近く、釈放も間近い気に誘はれる。(中略)…獄中では読書以外にPleasureもRecreationもない」三十日の日誌には、〝古嶋中尉〃の死刑求刑を知り、温厚、君子の如き彼の求刑を聞いて驚いたようすがうかがえる。そして「捕虜虐待関係の戦犯裁判には我々の常識では判断が出来ない。…(中略)然し自分には罪に値する何があるか。俺は厳然と言ひ放たう。捕虜を防護して休みもなかったことを、具体的にあくまでも強調する積りだ。…(中略)祈る思ひで返却された妻子への手紙を出す。手紙一本は之ほど重大な家族と自分をつなぐ唯一の血管である」と結んでいる。
大晦日。十二月も三十一日となった。「此の三階へも新しい人が次々とやって来ては、何日とはなく何処かへ移って行く。一部峰本軍曹の如く二階や一階へ移った丈の者もあり。判決を受けた者もある。(中略)…求刑や判決を観ると前途は楽観を許さぬ。残った者は夫々に想像を逞うして暗黒の前途に一縷の光明を求めんとしてゐる。皆家に親あり妻子あり。歴史的な昭和二十年を獄中に送り、明日は新しき昭和二十一年。一九四六年を獄中に迎へるべく運命づけられた数百名は夫々独房の中に感慨を深くしてゐる。(以下略)」
「(中略)…肉身の情、恩愛の絆、生への執着、簡単には断ち切れぬ。しかも己の罪の全然無いと信じる僕等の場合に於てをや。 我々以外に罪ある者は幾らもある。‥・鳴呼《ああ》一九四五年、世界戦史の前例無き敗戦。日本歴史始まって以来の国辱の年は、幾百幾千萬の民を衣食住なき悲惨の底に突き落し、罪なき者を絶海の孤島に置去りにし、大陸の山奥に彷徨せしめ、獄中に呻吟せしめて暮れんとはする。噂くに涙なく、呼ぶに声なく、只黙として運命の神の命にのみ従ふ」
「大歳の壁に対坐し身じろかず」
「歳末や送らん術《すべ》なき憤り」 「ゆく年や誰にともなき憤り」
「寂しさに妻子の名をも呼びて見つ」
「瞼なる妻子の姿 年暮る」 結びの歌である。
何ともならぬ身の怒りの中に、焦燥と不安、淋しさにひたすら妻子を思い、一縷(いちる)の光を求めつづける獄中の倉西中尉。いや獄中につながれ、罪なきと神に誓った人びと一戦争とその悲惨さをつくづく考えさせられる。
注 寒灯かんとう=季語 寒い夜のともしび
十二月も終りごろには、手の凍傷がだんだんとひどくなって、かゆく痛く、眠れない日がつづく。このころ、一週間前に出したはずの家族への手紙が「多すぎる」とつき返され、あらためて紙数を少くして出すという、泣くに泣けない情ないハプニングもあった。こんなことも重なって、折りにふれ、捕虜の為に真面目に努力したのに、罪人としてあらゆる自由を束縛し、家族を飢餓に追ひやって見殺しにするとは、何ういふ《う》ことか。戦争とは何か。一体誰が責任を負ふべきか。この点を深く考へて見ねばならない」と記す。
「寒燈《注1》や泣かんとすれど涙滑《すべる》る」
十二月二十八日には「一番に裁判を受けた五人の中、東京の軍属に遂に終身懲役の判決あり。
此の判決は現在此処に拘置されて居る者の心を可成り暗くした。僕は心を暗くすることはないのだが。それでも理由もなく心を暗くする。此処に来てからはたまらなく妻の緑と娘ミネ子の二人の事が想はれる」と。
「十二月二十九日 土曜日 晴 (中略)…今日此の階の小林といふ通訳に多奈川で撮影した所員の写真を示し、同通訳が多奈川に居たか否かを尋ねたとの由。察するに小林一雄が僕の為に特別弁護人に立つと言って呉れた事は塔本先生から僕の入所前に聞いてゐた。其の事に関連して同姓の小林通訳を呼んで聞いたのだろう‥・(以下略)」
さらにつづけて「とにかく何か自分を調査してゐるとすれば裁判も近く、釈放も間近い気に誘はれる。(中略)…獄中では読書以外にPleasureもRecreationもない」三十日の日誌には、〝古嶋中尉〃の死刑求刑を知り、温厚、君子の如き彼の求刑を聞いて驚いたようすがうかがえる。そして「捕虜虐待関係の戦犯裁判には我々の常識では判断が出来ない。…(中略)然し自分には罪に値する何があるか。俺は厳然と言ひ放たう。捕虜を防護して休みもなかったことを、具体的にあくまでも強調する積りだ。…(中略)祈る思ひで返却された妻子への手紙を出す。手紙一本は之ほど重大な家族と自分をつなぐ唯一の血管である」と結んでいる。
大晦日。十二月も三十一日となった。「此の三階へも新しい人が次々とやって来ては、何日とはなく何処かへ移って行く。一部峰本軍曹の如く二階や一階へ移った丈の者もあり。判決を受けた者もある。(中略)…求刑や判決を観ると前途は楽観を許さぬ。残った者は夫々に想像を逞うして暗黒の前途に一縷の光明を求めんとしてゐる。皆家に親あり妻子あり。歴史的な昭和二十年を獄中に送り、明日は新しき昭和二十一年。一九四六年を獄中に迎へるべく運命づけられた数百名は夫々独房の中に感慨を深くしてゐる。(以下略)」
「(中略)…肉身の情、恩愛の絆、生への執着、簡単には断ち切れぬ。しかも己の罪の全然無いと信じる僕等の場合に於てをや。 我々以外に罪ある者は幾らもある。‥・鳴呼《ああ》一九四五年、世界戦史の前例無き敗戦。日本歴史始まって以来の国辱の年は、幾百幾千萬の民を衣食住なき悲惨の底に突き落し、罪なき者を絶海の孤島に置去りにし、大陸の山奥に彷徨せしめ、獄中に呻吟せしめて暮れんとはする。噂くに涙なく、呼ぶに声なく、只黙として運命の神の命にのみ従ふ」
「大歳の壁に対坐し身じろかず」
「歳末や送らん術《すべ》なき憤り」 「ゆく年や誰にともなき憤り」
「寂しさに妻子の名をも呼びて見つ」
「瞼なる妻子の姿 年暮る」 結びの歌である。
何ともならぬ身の怒りの中に、焦燥と不安、淋しさにひたすら妻子を思い、一縷(いちる)の光を求めつづける獄中の倉西中尉。いや獄中につながれ、罪なきと神に誓った人びと一戦争とその悲惨さをつくづく考えさせられる。
注 寒灯かんとう=季語 寒い夜のともしび
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編集者 (代理投稿)