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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・24

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・24

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/10/8 8:00
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 捕虜収容所長の獄中日誌 (その3)・4

 日誌は次のようにつづいている。
 「安藤氏の意見は 〝結局、陸軍省の上に立つ者が不親切だったのだらう″ ということだた。
 僕も此の点、無理解と無認識は痛感してゐる。話は結局、米国の輿論《よろん》に訴へる為、日本から米国に渡る婦人が出ないと駄目だといふ意見だ。〝支那は其の点、宋美齢
《注1》等が今度の戦争で大手柄を立てましたね″という僕の意見に大賛成だった。今此の巣鴨には満洲事変以後の日本の指導者が全部拘留されてゐるのだから、此の大戦争、及大戦中の日本のリーダー達の意見、感想聞けたらと思ふ。これから折りにふれ聞いて見度い」
 二日から四日までは、イギリスの進駐軍が呉に到着、ソ連、中華民国は日本占領に加入しないと新聞で知ったこと。隣室に最後までいたB29爆撃機のアメリカ兵関係で上海の軍事裁判にかけられた人が夕食後、上海へ連行されたこと、などと簡単に記述。
 五日の日誌には突然、厳重な室内と所持品検査があったとある。
 「(中略)散歩中、東條大将ガ訊問カラ帰ッテ来タノヲ見タガ、顔ニモ活気ガナク、猫背デ沈鬱《ちんうつ》ナ表情ダッタ。感無量ダッタ」
 とも記している。太平洋戦争を通して〝日本″の歴史を動転させたかつての最高指導者の姿に、中尉は〝感無量″という以外にことばもなかったのだろう。
 怒りと哀れと無力感、焦燥感-囚われの身となった中尉自身のこの思いは、終戦直後の日本の姿そのものだったのである。

 「(二月七日、中略)名古屋の収容所織田参謀カラー月二十日付ノ来信。次々卜拘禁サレ残務続ケルガ困り居ル由。安藤氏ヨリ真崎大将ニ貸シテアッタPearl Buckノ〝TheGoodEarth 大地″借リテ読ム」
 所内の生活は、必要な物がないので知恵が役に立つ。「マッチの配給が行われなくなってタバコが喫えない。アメリカ製の太軸マッチ一本を縦に割って二本にして使う。ペン先を利用すればすぐ割れた。うまくやれば四本にして使える」とある 
(二月八日)。
 運動時間の散歩はかつての部下といっしょにするが、その部下から「僕の裁判時には所長殿、よい証言を頼みますよ」といわれ「君は大丈夫だ」と答えた時の部下の嬉しそうな表情を書いている (同八日)。部下思いの中尉の一面がうかがえる。
 九日には、逃亡捕虜タイラー事件で参考調書をとられ、詳細にわたって供述、サインを終ってどうにかこの事件の尋問を終了、ホッとしたと記録。「次に来るものは裁判だが恐るるに足りぬ。神は真理に味方してくれるだらう」と、幾分、楽観した見通しを。
 しかし、相当しつこく尋問されたようで十日の日誌は訊問で疲れ興奮して昨夜は殆んど眠れず。眠ってもすぐ眼覚め、夜中以後、朝まで一睡もできず。陳述を反省、その結果を想像、家族の生活のことを思い、一層疲れた」 つづけて 「昼食時、峰本と合い不安を訴える彼に〝心配するな″ といった声を側の真崎大将が耳にし〝捕虜収容所関係の人は気の毒だ″と九州弁で答えられた。僕は〝峰本は、二人の弟が戦死、母親一人を残してここに来ている〟というと大将は涙し、手で眼を拭はれた。僕も眼頭が熱くなり泣いた。(中略)今日の新聞では九州の小出石衛生兵の裁判は僅かに二時間四十分で懲役十年の判決とある。またトルーマン大統領に上訴していた山下泰文大将の件は棄却され、マッカーサー元帥の命令で死刑の執行が決定ともある」と記している。

注1 宋美齢(そうびれい)=1901~2003]中国の政治家。広東(カントン)省海南島
の人。蒋介石(しょうかいせき)夫人。1927年結婚以来、国民政府立法委員をはじめ
要職を歴任。出典・大辞泉

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編集者 (代理投稿)

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