捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・28
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捕虜収容所長の獄中日誌 (その3)・8
近頃、給与が悪くなった。それに分配が悪い。分配係が固定して了ひ、顔を見て飯を盛る。
同盟条約の様なものを結んで戦線を結束し三度三度特別配食を受けてゐる一団が出来た。嘆かはしい。最も大切な問題で皆も気付いてゐるのだらうが云ひ出す人も居ない。
刑務所生活も一つの社会だ。こんな特殊な社会でさへ社会悪は直ぐ芽生える。其の悪の根本を為すものは利己主義である。斯うした利己主義を強引に傍弱無人に振舞ふ連中は収容所の軍属か警察の特高(抑留民収容所から来た人)だった人達である。(後略)」
中尉の日誌はここで終り「明日より別冊に託す」と付け加えられている。中尉の一人娘、新井ミネ子さんに探してもらったが、残念ながら見つからなかった。しかし中尉は、悶々《もんもん》の獄中生活約五か月を経て二十一年(一九四六)五月に、容疑なしとして不起訴となり、待望の釈放となった。恐らく、無実の罪で長期の懲役刑判決を受けた多奈川分所の元部下たちに心を痛めながら出所したこと。予想したとはいえ、不起訴となってある日突然の釈放命令に驚くやら、嬉しいやら…さまざまな思いを胸に巣鴨をあとにしたことなど。そして二月以後、釈放までの高官たちの様子、暮らしぶり、心の軌跡《=たどって来た跡》等が、見たまま、感じたまま、聞いたまま、ビビッドに記されていることだろう。
中尉は出所後、元通り堺中学に復職、英語教師として戦後の子弟教育に情熱を傾け、妻子と仲むつまじい暮らしに戻られた。まずは〝めでたし、めでたし" だが四十三年(一九六八)、六十九歳で亡くなられた。
獄中で中尉が作った詩歌が、日誌の一部に記されているので紹介しよう。
「瞼なる妻子の姿 年暮る」
「ゆく年や 誰にともなき憤り」
「大義の壁に対座し 身じろかず」
「空腹にこたへて踏める凍土かな」
「凍土を歩む将軍 遅れ勝ち」
「凍傷を凝っと観入りて ひもじさよ」
「寒燈や 泣かんとすれど涙潤《うる》る」
「寂しさに 妻子をも呼びて見つ」
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編集者 (代理投稿)