捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・31
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思い出対談
覚えなき戦犯の汚名に泣いた旧日本軍人と・2
峰本 通訳だった小林さんは、かなり公平にモノを見ることができたんじゃないですか。私も、敵意丸出しのあの国情の中なので日本軍人という立ち場は十分に意識しながらも、武器を捨てている捕虜にはお互いが人間だという考えで接してきたつもりです。炊事班のコイル軍曹(EDWARD・COYIE)、連絡将校だったブロードウオーター中尉(ROBERT.J.BROADWATER)、懐しい名前がいろいろと浮かんできますが、彼らと交流した収容所勤務は、よい思い出がたくさんあります。
小林 私もそうです。コイル軍曹は、しよつちゅう私を招いてくれた。あのころ一般の日本人には口にすることのできない豪華な、おいしいものをいっしょに食べながら、四方山話をしたものです。彼の役目柄、収容所へ食糧品を納めにくる日本人ともよく話していましたね。愉快な男だった。先般、当時の人捜し運動のためにツテを頼って連絡したんですが、五年前に死亡、家族との連絡もとれないということでした。残念です。
峰本 亡くなったんですか。もうかなりの年でしょうからね。そういえば、収容所へは近所の豆腐屋の娘さんが、いつも元気に豆腐を運んでいた。林たね子さん〝たねちゃん″と親しまれていた。あのころ十八歳とかいっていましたな。神戸市の垂水にいまも元気に住んでいます。先日も連絡しましたが、元気そうでしたよ。彼女はコイル軍曹ら炊事班の捕虜ともよく雑談していたが、人気娘だったことを覚えています。彼女も懐しい一人ですね。
小林 天びん棒《注1》をかついで、よく豆腐を運んでいましたね。元気そうな娘さんでした。(笑い)
峰本 コイル軍曹は彼女のそんな姿を見て〝いつも 「タネチャン、ゲンキ、イチバン (たねちゃん、元気、一番)」 といって笑わせていましたね。(爆笑)
小林 そうでしたね。食糧というと、私もよく彼らと買い出しに行きましたが、捕虜はとにかく、外出したがっていました。外に出ると、のびのびと明るかった印象がいまもちらつきます。
峰本 そう、彼らにとっては確かに外出が気晴らしと、情報を得るきっかけだったんでしょう。情報といっても、とくに日本人が教えるわけでもない。雰囲気で何かを知りたいという軽い気持ちだったんでしょうがね。いつだったか、彼等らを連れて和歌山市の丸正百貨店へ買い物に行ったことがありました。ワカメやヒジキのくずをたくさん買い込み帰る途中、憲兵に会って「何を買い込んだか」「こいつらをなぜ外に連れ出すのか」「敵兵を勝手に行動させるとはなにごとだ」「そうでなくても日本人のために物資を大切にしなければならん時に、敵兵に塩を贈るやり方はけしからん。以後、注意するように…」と、厳しく問いつめられ、叱られたことがありましたよ。憲兵は絶対でしたから、こちらの階級が上でもどうでも抵抗できなかった。いま思うと馬鹿らしいことでしたが、しかし、当時、青い目の人間、それも捕虜を引き連れて堂々と日本軍人が買い物をする姿は、一般市民の眼には何とも異様に映ったでしょうね。こちらは別に悪いことをしたんじゃあない。まあ、特異な歴史といえる時代だったんですなあ。
小林 そうですね。彼らといろいろなことを話し合い、いっしょに買い出しなどをして親密になると、同じ生をうける人間であり、敵国人という気が薄らぎ、友人という感じがわいてきましたね。
峰本 そうそう、人間としての情がわいてくる。わいてきた。事務所などで連絡将校の捕虜らとも話したことがあった。といっても私は片言の英語、彼らも片言の日本語を交えたチャンボン語で、身ぶり手ぶり、時に英語の辞書を広げながら話したものです。そんな時に彼らはよく言っていましたね。「いずれは握手する時がくる。いつまでも反目し合って交戦していると、いずれ人間が滅び、とり返しがつかなくなる」と真面目に言ってたことがありましたよ。
注1 天びん棒=両端に荷をかけ中央を肩にあてて担う棒。江戸時代の魚やさんの行商など。
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編集者 (代理投稿)