捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・19
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捕虜収容所長の獄中日誌(その2)・3
逃亡捕虜タイラー事件の第一回尋問は十一日に行われた。この日の日誌は次のように述べている。いつか、いつかと半ば恐怖の心で待っていた尋問だった。
「(中略)本日初めて訊問。九時半MPに後方より監視され訊問《じんもん》室に入る。此処は独房と対照的にスチームにて春の如く曖い。訊問要点及返答次の如し。
間〝何日カラ何日マデ多奈川分所長デアッタカ〃
答〝一九四三年八月十八日ヨリ一九四五年二月初迄〃
間〝羽間少尉トハ何日交代シタカ〃
答〝一九四三年八月十八デアッタ〃
間〝所長トナッテ間モナク逃走事件ガアッタダラウ〃
之ヨリ、タイラー逃走事件ヲ中心トシテ逃走ノ次第等ハホンノ形式的ナ質問ダケ。其後ノ処置ニツキ詳細ナル質問アリ。
余ハ堺ノ自宅ニテ八月二十八日(一九四三年)朝八時頃、峰本、市場ヨリノ報告デ大阪本所ニ至リ吏二伏見ノ所長二会ヒ報告。夕刻六、七時頃多奈川分所二帰リシ事、多分峰本卜共二帰リタル様記憶。多奈川二帰リシ時ハ本所副官金田大尉ガ既二来所、本人訊問、実地検証等ヲ済セ、タイラーハ既二宮倉二入り居夕事。分所二帰着後直チニ営倉二行キテタイラーヲ見夕事、後タイラーヲ事務室二呼ビ訊問セリ。更二夜分所出ル前タイラーノ状態ヲ見二行キシ事。分所ヲ辞スル際タイラーニ手ヲ加ヘザル様厳命セル事。タイラーガトラックニテ分所ヲ去リシハ二十九日早朝ナリシヤ三十日早朝ナリシヤ記憶明カナラズ事。其ノ時トラックニ野須軍医、川原傭人居リシ事。自分ハトラックニ上リタイラーヲ見シガ、彼ノ意気消沈シアリ。傷痕ナシ。血モ流シテ居ラズ。金田大尉ノ指示デ彼ノ食事ヲ与へ、営倉鍵ハ営兵司令官ガ所持、峰本ハ営兵司令官ナラザリシ事 (後略)。
(中略)タイラーヲ殴打セルモノナキヤトノ間ニ、捕縛セシ時或ハ殴打セルヤモ知レズ等ノ事ハ捕虜将校ヨリ聞キシ事。マタ「通訳ガヨリ殴ルトイフ事、市場ガ将校ヲ殴ッタ事ヲ聞クト答フ。Tハ会社側二話シヤメサセヤウカト思ッタガ食糧金銭等ノ寄付等、会社側ノ援助ヲサスノニ必要ナ人間デアルノデ、Tニハ注意シソノママニシタ事等ヲ答ヘタ。約二時間、十一時半終ル」
と締めくくっている。覚書(既述)と同じ内容を丁寧に答え、厳しい最初の尋問をきり抜けた様子がわかる。
「一月十二日 土曜日 晴 寒気強し 朝水道凍って水出ない。新聞が、昨日、古嶋君終身懲役の判決言渡を受くと報ず。判決を聞いて落涙してゐたと出てゐる。古嶋君の胸中察するに余りあり。古嶋君の妻君も法廷傍聴席に来て居たらしい。夫人は感動の色を現はさなかったと出てゐる。恐らく茫然として為す所を知らなかったのであらう。裁判の最後の二日には必死になって無罪を主張し検事の痛烈な論告に抗弁したらしいが、会社側、地方-船津町長等の証言も彼自身の証言も何等効を奏せず、遂に終身刑判決となったとある。之で昨年十二月十七日以後行はれた三つの捕虜虐待軍事裁判で、第一、土屋(東部軍)は終身苦役、第二、由利(九州)は絞首刑、第三、古嶋(東海)は終身懲役と決ったわけである。明日出すべき緑、ミネ子宛手紙を書く」
捕虜収容所関係者の戦犯裁判は、短期間に相次いで判決を終り、予想外に厳しい結果だったこと。さらに拘留後の自分は一回だけの公判前尋問を受けてまったく放置されたかっこうであること。これらの状況から中尉の心をますます不安に駆りたてていくようすが手にとるようにわかる。〝独房の戦犯心理″-それも神に誓って身に覚えがないと確信する罪状容疑でつながれた中尉だけに、憤りと不安、情なさが複雑に入り交り、狂いそうな気分の獄窓生活に耐えている姿が瞼に浮かぶようだ。
逃亡捕虜タイラー事件の第一回尋問は十一日に行われた。この日の日誌は次のように述べている。いつか、いつかと半ば恐怖の心で待っていた尋問だった。
「(中略)本日初めて訊問。九時半MPに後方より監視され訊問《じんもん》室に入る。此処は独房と対照的にスチームにて春の如く曖い。訊問要点及返答次の如し。
間〝何日カラ何日マデ多奈川分所長デアッタカ〃
答〝一九四三年八月十八日ヨリ一九四五年二月初迄〃
間〝羽間少尉トハ何日交代シタカ〃
答〝一九四三年八月十八デアッタ〃
間〝所長トナッテ間モナク逃走事件ガアッタダラウ〃
之ヨリ、タイラー逃走事件ヲ中心トシテ逃走ノ次第等ハホンノ形式的ナ質問ダケ。其後ノ処置ニツキ詳細ナル質問アリ。
余ハ堺ノ自宅ニテ八月二十八日(一九四三年)朝八時頃、峰本、市場ヨリノ報告デ大阪本所ニ至リ吏二伏見ノ所長二会ヒ報告。夕刻六、七時頃多奈川分所二帰リシ事、多分峰本卜共二帰リタル様記憶。多奈川二帰リシ時ハ本所副官金田大尉ガ既二来所、本人訊問、実地検証等ヲ済セ、タイラーハ既二宮倉二入り居夕事。分所二帰着後直チニ営倉二行キテタイラーヲ見夕事、後タイラーヲ事務室二呼ビ訊問セリ。更二夜分所出ル前タイラーノ状態ヲ見二行キシ事。分所ヲ辞スル際タイラーニ手ヲ加ヘザル様厳命セル事。タイラーガトラックニテ分所ヲ去リシハ二十九日早朝ナリシヤ三十日早朝ナリシヤ記憶明カナラズ事。其ノ時トラックニ野須軍医、川原傭人居リシ事。自分ハトラックニ上リタイラーヲ見シガ、彼ノ意気消沈シアリ。傷痕ナシ。血モ流シテ居ラズ。金田大尉ノ指示デ彼ノ食事ヲ与へ、営倉鍵ハ営兵司令官ガ所持、峰本ハ営兵司令官ナラザリシ事 (後略)。
(中略)タイラーヲ殴打セルモノナキヤトノ間ニ、捕縛セシ時或ハ殴打セルヤモ知レズ等ノ事ハ捕虜将校ヨリ聞キシ事。マタ「通訳ガヨリ殴ルトイフ事、市場ガ将校ヲ殴ッタ事ヲ聞クト答フ。Tハ会社側二話シヤメサセヤウカト思ッタガ食糧金銭等ノ寄付等、会社側ノ援助ヲサスノニ必要ナ人間デアルノデ、Tニハ注意シソノママニシタ事等ヲ答ヘタ。約二時間、十一時半終ル」
と締めくくっている。覚書(既述)と同じ内容を丁寧に答え、厳しい最初の尋問をきり抜けた様子がわかる。
「一月十二日 土曜日 晴 寒気強し 朝水道凍って水出ない。新聞が、昨日、古嶋君終身懲役の判決言渡を受くと報ず。判決を聞いて落涙してゐたと出てゐる。古嶋君の胸中察するに余りあり。古嶋君の妻君も法廷傍聴席に来て居たらしい。夫人は感動の色を現はさなかったと出てゐる。恐らく茫然として為す所を知らなかったのであらう。裁判の最後の二日には必死になって無罪を主張し検事の痛烈な論告に抗弁したらしいが、会社側、地方-船津町長等の証言も彼自身の証言も何等効を奏せず、遂に終身刑判決となったとある。之で昨年十二月十七日以後行はれた三つの捕虜虐待軍事裁判で、第一、土屋(東部軍)は終身苦役、第二、由利(九州)は絞首刑、第三、古嶋(東海)は終身懲役と決ったわけである。明日出すべき緑、ミネ子宛手紙を書く」
捕虜収容所関係者の戦犯裁判は、短期間に相次いで判決を終り、予想外に厳しい結果だったこと。さらに拘留後の自分は一回だけの公判前尋問を受けてまったく放置されたかっこうであること。これらの状況から中尉の心をますます不安に駆りたてていくようすが手にとるようにわかる。〝独房の戦犯心理″-それも神に誓って身に覚えがないと確信する罪状容疑でつながれた中尉だけに、憤りと不安、情なさが複雑に入り交り、狂いそうな気分の獄窓生活に耐えている姿が瞼に浮かぶようだ。
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編集者 (代理投稿)