捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・13
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捕虜収容所長の獄中日誌(その1)・2
「六日 木曜日 晴 (中略)…起きて掃除するが、白い挨が掃いても掃いても出る。昨日全ての衣類にふりかけられた殺虫粉だろう。朝食は馬鈴薯を潰《つぶ》したもの、Plumの砂糖漬け、固いパン一個、Cheese一片とcoffee一碗。便所腰掛けてするのは気持が悪い。扉の覗《のぞ》き穴から峰本が〝所長殿何うですか?″と言ってくれるが、所長殿と言はれ自分のことの様に思へない。(中略)午後の散歩で荒木大将、小磯大将、白鳥大使、葛生黒龍会長といった大物が大中尉や雇傭《こよう》人と並んでトボトボ歩いゐる姿を見た。皆カクシャクたるもので背も曲らず。
荒木大将はピンとカイゼル髭を寒風にさらし、小磯大将はステッキを振り、葛生氏は白髪白髭を靡《なび》かせつつ悠々と歩くところは偉観である。流石だと思ふ。今日の新聞では梨本宮殿下の拘留期限延長願もマッカーサー司令部に於て却下され、巣鴨に来られて我々と同じ生活を送られるという由。畏《おそ》れ多いことだ。
又今日のNippon Times には各捕虜収容所の所長、副官の出頭延期願も許されずとある。Lieuenan-Taijiro・Kuranishi of the Nagoya POW Campとして僕の氏名迄掲載。思へば僕もNotable Suspected War Crimin alになったものだ。General ArakiやGeneral Koiso、Ambasador Shiratori 等の名士と同様の生活を送るとは、全く夢想だにしなかった。戦争といふものは殊に敗戦といふものは大変化をもたらすものだ。英字新聞と日本の新聞をMPに頼み、支給してくれることになった。
独房のみじめな暮らしと同時に、戸外運動の隙《すき》を利用して情報を得たいと、他の人のことばに耳を傾ける〝必死の孤独な戦い″が、始まった。
「七日 金曜日 晴 10・00頃入浴があった。十人宛並んで行ふ。Bathは五つあり一つの浴槽へ二人宛入る。許された時間は二十分。その間に一週間分のアカを落し髭《ひげ》を剃り(剃刀《かみそり》はMPが貸してくれる) フンドシを洗濯。僕は大捕副官森本大尉と一緒に入ったが二人共肥った大男だから狭い浴室で困った。此処でも又囚人になったと云ふ感をさせられた」
そして室に帰ってからの様子。「靴下とハンカチを洗濯。まだ汚れたフンドシと靴下があるが干す場所なく古新聞にくるみ戸棚といふか机の下に突込んである。風呂で大急ぎで洗った褌《ふんどし》と独房で洗ったハンカチ、靴下も随分苦労して干す場所を考えた。囚人を容れる為に作った此の室は物を懸ける所は一つもない。一本の針も一本の紐も見当らぬ。己むを得ず窓の鉄網に鉛筆とペン軸を差し込み之に引懸けたのである。所が風通しはなく日も当たらぬので乾くのに時間がかかる。午前中の洗濯物ハンカチが今(19・30分)漸く乾きかけた。靴下は二、三日かかろう。之が乾けば戸棚に突込んである褌、その他は今着ているシャツ、次は袴下《こした=ズボン下》という風に毎日少し宛洗濯しようと思ふ」
つづいて「今日の散歩は昨日と場所が違ひ一つ棟を越えた(こんな棟がいくつあるのか知らぬが)向ふの空地で行はれた。多奈川の重井雇員も収容されていた。その窓下を通る度に一つづつ問ふて行く。始めは〝オゝ″と云ふ丈け。次は〝何日に来たか″その次は〝高木通訳はまだか?〟等と尋ねて行く。〝村田大佐は此の棟に居られるか″と尋ねると〝居られる、此の前の室だ〟と云ふ答。之にて一緒に来た所長達は此の棟の一階に居た事が判った。今日まで何処へ連れて行かれたか疑問だったのだ。まだ聞き度い事があるが既に時間が来てぐるぐる廻りは終り遂に尋ねられなかった。次から次へと此の刑務所は戦争犯罪人で賑はふことだろう。今日MPに歯磨粉を呉れと頼んで置いたら正直にライオン歯磨の紙袋を持って来てくれた。斯ういふことは几帳面である。便所には困る。腰掛けてするのは何うも思ふ様に出ない。
何うも此処の生活は調子が悪い。英字新聞や家から持って来た Gone with the wind を読んだり隣室から借りる日本の新聞を見て居る中に時間が経つ。寒さも今は我慢出来るが、何と云ってもわびしい生活だ。食事以外は一杯の茶も飲めない。早く帰り家族と一緒に暮し度い。手紙の続きは明日書くことにして今日は之で寝よう。今八時」英語教師らしく目付け、天候などを英語で記すことも多かった。太平洋戦争開始から四年目の十二月八日の日誌はこうだ。「Dec・8th Surday Fine after-Cludy,Chilly 朝食後、doorの所で煙草を吸っていると向ひの橋本が〝何日迄かかると思ひますか〃と尋ねる。隣の西本曹長は〝昨日の新聞では戦犯が米国へ送られると書いてあった〃と言ふ。何日帰れるものやら全然見当がつかぬ。六日に書き始めた妻、ミネ子、兄に話す積りの手紙を刻明に書き足す。Lifeに自殺し損じた血まみれ白シャツで横はって居る東條大将の大写の写真や、栗栖、野村両大使がHull国務長官と並んで歩く大写真が Pearl Harbour の大見出しで載つている。今日は曇っていて手足がしびれるように冷い。独房は憂鬱だ。早く何とか解決がつけばよいと思ふ」
「六日 木曜日 晴 (中略)…起きて掃除するが、白い挨が掃いても掃いても出る。昨日全ての衣類にふりかけられた殺虫粉だろう。朝食は馬鈴薯を潰《つぶ》したもの、Plumの砂糖漬け、固いパン一個、Cheese一片とcoffee一碗。便所腰掛けてするのは気持が悪い。扉の覗《のぞ》き穴から峰本が〝所長殿何うですか?″と言ってくれるが、所長殿と言はれ自分のことの様に思へない。(中略)午後の散歩で荒木大将、小磯大将、白鳥大使、葛生黒龍会長といった大物が大中尉や雇傭《こよう》人と並んでトボトボ歩いゐる姿を見た。皆カクシャクたるもので背も曲らず。
荒木大将はピンとカイゼル髭を寒風にさらし、小磯大将はステッキを振り、葛生氏は白髪白髭を靡《なび》かせつつ悠々と歩くところは偉観である。流石だと思ふ。今日の新聞では梨本宮殿下の拘留期限延長願もマッカーサー司令部に於て却下され、巣鴨に来られて我々と同じ生活を送られるという由。畏《おそ》れ多いことだ。
又今日のNippon Times には各捕虜収容所の所長、副官の出頭延期願も許されずとある。Lieuenan-Taijiro・Kuranishi of the Nagoya POW Campとして僕の氏名迄掲載。思へば僕もNotable Suspected War Crimin alになったものだ。General ArakiやGeneral Koiso、Ambasador Shiratori 等の名士と同様の生活を送るとは、全く夢想だにしなかった。戦争といふものは殊に敗戦といふものは大変化をもたらすものだ。英字新聞と日本の新聞をMPに頼み、支給してくれることになった。
独房のみじめな暮らしと同時に、戸外運動の隙《すき》を利用して情報を得たいと、他の人のことばに耳を傾ける〝必死の孤独な戦い″が、始まった。
「七日 金曜日 晴 10・00頃入浴があった。十人宛並んで行ふ。Bathは五つあり一つの浴槽へ二人宛入る。許された時間は二十分。その間に一週間分のアカを落し髭《ひげ》を剃り(剃刀《かみそり》はMPが貸してくれる) フンドシを洗濯。僕は大捕副官森本大尉と一緒に入ったが二人共肥った大男だから狭い浴室で困った。此処でも又囚人になったと云ふ感をさせられた」
そして室に帰ってからの様子。「靴下とハンカチを洗濯。まだ汚れたフンドシと靴下があるが干す場所なく古新聞にくるみ戸棚といふか机の下に突込んである。風呂で大急ぎで洗った褌《ふんどし》と独房で洗ったハンカチ、靴下も随分苦労して干す場所を考えた。囚人を容れる為に作った此の室は物を懸ける所は一つもない。一本の針も一本の紐も見当らぬ。己むを得ず窓の鉄網に鉛筆とペン軸を差し込み之に引懸けたのである。所が風通しはなく日も当たらぬので乾くのに時間がかかる。午前中の洗濯物ハンカチが今(19・30分)漸く乾きかけた。靴下は二、三日かかろう。之が乾けば戸棚に突込んである褌、その他は今着ているシャツ、次は袴下《こした=ズボン下》という風に毎日少し宛洗濯しようと思ふ」
つづいて「今日の散歩は昨日と場所が違ひ一つ棟を越えた(こんな棟がいくつあるのか知らぬが)向ふの空地で行はれた。多奈川の重井雇員も収容されていた。その窓下を通る度に一つづつ問ふて行く。始めは〝オゝ″と云ふ丈け。次は〝何日に来たか″その次は〝高木通訳はまだか?〟等と尋ねて行く。〝村田大佐は此の棟に居られるか″と尋ねると〝居られる、此の前の室だ〟と云ふ答。之にて一緒に来た所長達は此の棟の一階に居た事が判った。今日まで何処へ連れて行かれたか疑問だったのだ。まだ聞き度い事があるが既に時間が来てぐるぐる廻りは終り遂に尋ねられなかった。次から次へと此の刑務所は戦争犯罪人で賑はふことだろう。今日MPに歯磨粉を呉れと頼んで置いたら正直にライオン歯磨の紙袋を持って来てくれた。斯ういふことは几帳面である。便所には困る。腰掛けてするのは何うも思ふ様に出ない。
何うも此処の生活は調子が悪い。英字新聞や家から持って来た Gone with the wind を読んだり隣室から借りる日本の新聞を見て居る中に時間が経つ。寒さも今は我慢出来るが、何と云ってもわびしい生活だ。食事以外は一杯の茶も飲めない。早く帰り家族と一緒に暮し度い。手紙の続きは明日書くことにして今日は之で寝よう。今八時」英語教師らしく目付け、天候などを英語で記すことも多かった。太平洋戦争開始から四年目の十二月八日の日誌はこうだ。「Dec・8th Surday Fine after-Cludy,Chilly 朝食後、doorの所で煙草を吸っていると向ひの橋本が〝何日迄かかると思ひますか〃と尋ねる。隣の西本曹長は〝昨日の新聞では戦犯が米国へ送られると書いてあった〃と言ふ。何日帰れるものやら全然見当がつかぬ。六日に書き始めた妻、ミネ子、兄に話す積りの手紙を刻明に書き足す。Lifeに自殺し損じた血まみれ白シャツで横はって居る東條大将の大写の写真や、栗栖、野村両大使がHull国務長官と並んで歩く大写真が Pearl Harbour の大見出しで載つている。今日は曇っていて手足がしびれるように冷い。独房は憂鬱だ。早く何とか解決がつけばよいと思ふ」
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編集者 (代理投稿)