捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・23
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捕虜収容所長の獄中日誌 (その3)・3
「一月三十一日 木曜日 晴 (中略) A級裁判は三月一日頃開始と新聞に出てゐる。総選挙は三月三十一日に決まる由。
夕食前 (大物の一人) 安藤紀三郎氏入室、同室となる。今日迄3B-24に居たと云ふ。今日も調べを受けて直ちに僕等の2C-9に移らされた。調べを受けた米国将校から貰ったと言ふキャメルか何かを喫《す》ってゐる。
僕はもう煙草がとっくに切れ安藤氏のうまさうな口つきを見るとたまらなくなり、眼をそらすが、安藤氏は一向にお構ひなくそのパッケージを見せびらかせ乍ら喫ってゐる。軍人のくせに思ひやりのない老人だ。二、三本分けてくれるのが当然だらう。高官の人々に通有《注1》のdelicacyが欠けてゐる。
其の他の点では落着いた柔か味のあるよい人らしい。氏の経歴の詳細は知らぬが陸軍中将で内務大臣か何か大臣をやり大政翼賛会《注2》等にも関係した重要なpostに在った人だったことは判ってゐる。
三人同室となり (中略) 寝る時随分窮屈な思いだ。五尺六寸一分の大男が六尺四方の区に寝る事が如何に窮屈なことよ。MPが安藤氏の荷物と夕食を運んで来たが、氏は既に夕食を済し居られ、要らぬとのことで市川と二人で御馳走になる」
二月一日の日誌は、安藤氏と話し合った内容が中心。
その中で、近衛公の自殺、東條大将の巣鴨入所前の自殺未遂について安藤氏が 「生命を自分で断つよりも欲しがっている者に与えることだ。それが新生日本のためであり、みんなが自殺すると誰が責任者としてマッカーサーに説明するのか。遂に天皇を責任者として突き出すことになるではないか」 と強調したこと。
さらに倉西中尉が、近衛公の自殺の前後、東條大将が巣鴨でも自殺未遂を図ったと話したのに対し「東條はまだ悟り切れぬのかな」と安藤氏が答えたこと。「捕虜収容所にいた日本軍関係者は実に気の毒だ」という安藤氏のことばを感慨深げに聞いたと記している。
注1 通有(つうゆう)=同類のものに共通して備わっていること
注2 大政翼賛会=昭和15年(1940)近衛文麿(このえふみまろ)らが中心となり新体制運動推進のために結成した官製組織。全政党が解散し、これに加わった。同20年6月、国民義勇隊へ発展的解消。大辞泉より
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編集者 (代理投稿)