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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・21

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・21

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/10/1 8:17
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 捕虜収容所長の獄中日誌 (その3)・1

 巣鴨拘置所の住人となって一か月半。倉西中尉は毎日、欠かさず日誌を書きつづけてきたが、入所以来の惨めな狭い独房に別れを告げて広い雑居房に転居した日から、新しい生活の記録が始まった。その日は昭和二十一年(一九四六)一月十九日。
この項は、中尉の巣鴨獄中日誌「その3」 である。

 十九日は、よく晴れた土曜日だった。突然、他の房へ移るように指示され、汚れた下着や妻が差し入れてくれた心づくしの冬の衣類など、僅かな荷物をまとめて看守のMP《=米国陸軍憲兵隊》に見守られながら移ったのが 「2C-9号室」。

 「(中略)畳ハ八畳敷イテアルガ二間半四方、一月十九日。即十二畳半ノ間ダ。
今迄居タ1C-17ニ比シテ広イコト。シカモ此ノ広イ間ニ一人ダ。六名居ル室モアルノニ、何故カ僕ハ只一人ダ。布団モ毛布モ六名分置イテアルノニ。僕ハ真崎 (註・甚三郎) 大将ラト一緒ニ移ッテ来タガ、何デモ一度訊問ヲ受ケタ者ハ此ノ棟へ移サレルラシイ。
 向フ側ニハ梨本宮様ガ一室二三人デ居ラレル。東條大将モソノ隣室ニ居ル。畑大将ハ荒木大将、西尾大将ラト僕ノ側ダ。土肥原大将ハ木成卜同室ダ。二階ニハ村田所長 (註・大阪捕虜収容所、大佐) 峰本、野須軍医ラモ居ル。近ク裁判ニカカル津田傭人モ窓カラ見エタ。
 此処ハ前ノ処卜違ヒスチームガ入ッテ居ル。広イ室ダガ電気ガ非常ニ闇イ。殆ンド文字モ見エナイ。読物モ皆返シテ来タノデ何モセズ茫然《ぼうぜん》トシテ居ル」

部屋替えによって、皇族や陸軍大将など、かつて見たこともない雲上の人たちと同じ棟の房につながれ、身近に姿を見ることの驚きがにじんでいる。日本軍の最高中枢部にいた人たち、日本の運命を左右した人たちと、下級・応召将校だった自分が、いっしょに 〝戦犯″容疑で追及されていることへの疑問と憤りも、走るペンに溢れている。
 その広い雑居房の一人住まいも、たった一日で終った。翌二十日には、「市川」という沖縄から帰還した一等兵が一人、同室者として入房、共同生活が始まった。 「(中略) 長野県人だと言ふ。話相手が出来た。終戦後琉球の小島に渡り農家で働いていたが、七名一団となって内地へ帰るべく舟に乗り島伝ひに航行中、米国軍艦に発見され佐世保に連行された。佐世保より陸路東京へ。東京駅より直ちに巣鴨へ送られたといふ。二人になって時間の経過も早い」

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編集者 (代理投稿)

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