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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・35

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・35

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/10/21 8:13
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 第八章
  忘れ得ぬ〝鉄条網の友″捜《さが》し・1

 戦時中から戦争直後にかけて捕虜と占領軍の中で、アメリカ兵を中心にさまざまな実体験をした私だ。強烈な印象で脳裏に焼きついている。なかでも捕虜収容所時代に出くわした捕虜やその関係者については、戦後ずっと思いを馳《は》せ、折りがあればぜひコンタクトして「友情」を回復したいと願いつづけてきた。だが、生きることに忙しく、生業(なりわい)に形振(なりふ)りかまわず、のめり込まざるを得なかった。そのうえ、主だった捕虜の住所録メモを頼りに手紙を出しても音信不通。なんとかしたいと思いながらも空しく日々が過ぎていった。
 終戦後に一別以来、消息不明のままの捕虜たちだったが、私の心の中にはいつも彼らが存在しつづけている。その多くの人びとの思い出をたびたび夢に見た。単に夢で会うだけの心痛む日々だった。連絡のとりようもない〝消息不明の人びと″への友情は、私につきまとう〝人間の運命″としてあきらめきれない、本当に胸痛む思いの悩みだった。

 昭和四十八年(一九七三)の春だったと記憶する。私は、もちろん収容所時代の異国の友を捜しっづけながらも、行方が知れず、途方に暮れつつ、忙しくなった本業で各地を飛び回る日々がつづいていた時だった。突然、アメリカから「ミスター・ジョン・M・ガルブレイス (JOHN・M・GALBRAITH)」の名で私に国際電話がかかってきた。「あのガルブレイス大尉に相違ない」私は逸(はや)る心を抑えながら受話器を取り上げた。彼の声に懐しさと昂奮《こうふん》が一度に噴き出すようだった。「ハロー、ファイヤー・ボール(私の収容所時代のニックネーム)」ガルブレイス大尉に間違いなかった。捕虜当時は三十歳前だった。
 彼の話がつづいた。「懐しい。元気ですか。私は家族ともども元気です。そのご連絡しようと思いながらも商売が多忙で失礼しました。いま私は輸出入貿易業を営んでいます。増えつづけるマイカーを中心とした各種自動車で、市街地の排ガス汚染が日米ともに問題になっている昨今です。実はその排ガスを最少限に抑える特殊器具を扱っており、ぜひ日本で販売したいと思います。あなたも貿易業に身を置いているとのことですが、ぜひあなたの力で日本に輸出できるよう尽力願います。あなたもこの器具で儲《もう》かるものと信じます。折りがあれば再会しましょう」力いっぱいの声だった。「私は小さな輸出会社を経営しているだけで輸入の経験はありませんので…」というと「力になってあなたの会社を大きくしてあげよう」という返事がハネ返ってきた。その場は商売の話に終始した。
 「彼も一生懸命、がんばっているのだなあ。でもなぜ私の住所がわかったんだろう?」こう思いをめぐらしてみたが、結局、ニューヨークに住む私の学友、池田保君が私のことを知らせたと、あとでわかった。いずれにしろ「これを機に友情復活だ」私はこう思いながら考えた。貿易業とはいえ、私は輸出専門。しかも扱う業種も内容もまったく違う。安易に請け負っても、彼にマイナスになったら気の毒だし、私自身もそれでプラスになる自信がなかった。結局、彼のいう排ガス特殊器具の輸入を中心に貿易を手広くしている知人を紹介することにし、事情を記してこの旨、連絡した。商売上のことはそれから私の知人との間で交渉し、運んだようだったが、そのご親交を復活するためしたためた手紙に対し、ずっと返事がない。いまどうしているのだろうか。ぜひ再会したい友の一人なのだが‥・。

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編集者 (代理投稿)

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