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捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・18

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通常 捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・18

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/9/27 8:20
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 捕虜収容所長の獄中日誌(その2)・2

 四日には、拘留後初めて妻子の手紙を受け取った。「肉声を聞く様で嬉しい」「要領を得ないものだが兎に角身体丈けは達者で母子二人で淋しく暮してゐる様が髣髴《ほうふつ》と覗はれる」と、残した家族からの待望の手紙を見てホッとし、小踊りする喜びようが手にとるようだ。また、この日久しぶりに年末から新年にかけての新聞が配達され、寝るまで眼を釘づけにしてすみからすみまで読んだ。近衛公自殺の顛末《てんまつ》、歳末風景、強盗殺人など凶悪犯罪が横行している巷、占領軍の明るいクリスマス風景、闇市の盛況-など。インフレと食糧難で社会が不安と混乱の渦中にあることも知った。「永らく世と絶縁されて居た堰《せき》が切って落され溜ってゐた水が流れ出す様に息もつかずに読んだ」
 そして「危機に立つ日本の姿は史上例を見ない深刻悲惨なもの。独逸《ドイツ》、伊大利《イタリヤ》と日本は同じように悲惨の極にあり、僕も其の悲惨のどん底に居る者の一代表者である」と記している。自分自身を真剣に見つめ、独房につながれた悲しみと惨めさに耐える姿を浮き彫りにしている。

 六日の日誌-新聞で〝好ましからざる人物″の公職追放をマッカーサー司令部が指令したとを知った、とある。なかでも戦犯はその筆頭で、自分も釈放か無罪にならない限り現職(教師)で生きていけないと心痛。それでも無罪を確信している、とペンを走らせている。
 最後に「しかし万一の場合を考え
 (一)郷里で兄から田畠を分与して貰ひ農業に従事
 (ニ)英語を武器に都会で就職
 (三)縁故を辿《たど》り会社就職を考える外はない。何とかなるだろうか、前途は暗澹《あんたん》たるものだ。独房でくよくよして居ると気が狂って了ふ」。悲痛な思いが伝わってくるようだ。

 「七日月曜日寒気厳し米軍の監守は我々を呼ぶのにHey!と呼ぶ。軽蔑《けいべつ》した言葉だ。情ない気持になる。(中略)捕虜虐待の戦犯裁判報道が米国流に写真つきで大きく新聞に載っている。社会輿論も昂ってゐるらしいが、裁判や判決に対して心の中で批判してゐても紙上には現はれてゐない。ただ土屋(注、中尉の同僚か)に同情的な投書が読者に見えてゐる。〝只管上官の命令のままに行動した土屋をああいふ破目に陥《おとし》れ、命令を下した軍上層部は何ら救済方法を加へて居ない″といふ日本軍の支配層、職業軍人への非難である。此の点我々分所長以下の戦犯容疑者にとっても同様だ。(中略)このままでは家族は見殺しだ。同じ戦犯容疑者でも戦争惹起《じゃっき》、推進、敵味方何百萬を殺傷したAB級戦犯人と、吾々命令のままに動いたC級戦犯(捕虜管理に周囲の無理解と敵意の渦中で人道的に処した)とは、比較にならぬ相違がある。此の相違への一般国民の理解の欠如は実に無念」

 八日には「横浜の軍事裁判で由利中尉に絞首刑判決と新聞報道、又何をか言はん。(中略)今日は米陸軍長官パッターソン氏、当拘置所を巡視。廊下を十数名がぞろぞろ通って行った。覗き穴から見ると写真機を掲げた者等が通って行った。マッカーサー元帥も来たのか何うか判らなかった」


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編集者 (代理投稿)

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