捕虜と通訳 (小林 一雄)第二部・20
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捕虜収容所長の獄中日誌(その2)・4
十三日の日誌には「数名の者は既に釈放され帰って行きしとの事、羨《うらや》ましき限りなり。三食共代用食にて空腹。幣原内閣は改造に決した由 伝ふ」とある。ここでも独房生活のいたたまれない焦燥感がにじみ出ている。〝仁の人″と捕虜からも慕われていた中尉だっただけに、余計に気の毒だ。
そんな環境と心理状態の拘置所暮らしだけに、家族から待望の差し入れの小包が初めて手もとに届いた時の嬉しさは格別だった。
「一月十四日 月曜日 晴 毛布と靴下、足袋到着。待つこと久しき小包である。MPが見覚えのある赤い木綿の風呂敷包を持って扉を開けて立った時は流石に嬉しかった。早速布団の上に敷いて折り曲げて膝に掛け座って見た。暖かった。柔かった。夜も之で暖かく眠れる。寒さの為眼を覚すことも少なくなる。ぢっと座って思はず泣けて来た。靴下も昨日洗濯した時踵の所に穴があいてゐたので困ったと思ってゐたら、今日送って来た。しかもスキー用の厚い毛の奴。誠に有難い」
翌十五日の日誌には、待望の送られてきた毛布にくるまって寝た 〝昨晩″ は、初めて熟睡できたと記録。「一枚の毛布でこんなにも違ふものかと思った。嬉しかった」 とある。
さらにつづけて 「今日此の棟の各階から各十名宛第二号舎へ移転した。移転の理由ははっきり判らぬが大体、訊問された者は移って行くらしい。二階に居た野須軍医や羽間中尉も移って行った。僕も一回訊問が済んだから今度あたり移されるのだと思ふ」
「一月十六日 水曜日 晴 (中略) 十一日に一回訊問があった切り、後でまたやると言はれたきり今日まで何ともない。気懸りだ。(中略)僕の次に調べられた広島の森といふ人は大分あせって居る様だ。夜も眠れないと言って飯を残して捨ててゐるのを見た。勿体ない事をする人だと思った。僕なんか食っても食っても空腹で困るのに。
煙草が欠乏して来た。金鵄は二十一本残ってゐる。節煙して之丈は最後迄残さうと思ふが自信は持てない。先週火曜日に入浴してから丸一週間垢を落さぬので身体が汚れて来た。襦袢《ジュバン=肌着》等の洗濯せねばならぬが、入浴した時でないとやる気にならぬ。凍傷が快くならぬ。右手が左よりも悪い。五本の指が腫れ上って温まると痛がゆくてたまらぬ」
十七日には、新聞で北海道・室蘭の平手分所長の裁判が始まったこと、九州・大牟田の福原分所長の裁判が開始されることを知った、と記述。「昨日と今日、夕食に吊柿をくれた。甘かった」とある。
その翌十八日の日誌。「新聞に依れば津田傭人、次の裁判に廻る由。余も証人として立つ事と思はる。分所長、峰本、市場等の下士官を措きて津田が最初に裁判さるるは如何なる理由にや。解し難し」 テンポの早い戦犯裁判の進行の中で、日ごとにつのる〝わが身の不安″と〝旧部下への気遣い〟がにじみ出ている。壁と天井と鉄柵の小さな窓と対座する独房の暮らしが、いつまでつづくことか。〝恩師〟でもあり〝上司″でもあった中尉の、温顔にひそむ苦悩が伝わってくる。
十三日の日誌には「数名の者は既に釈放され帰って行きしとの事、羨《うらや》ましき限りなり。三食共代用食にて空腹。幣原内閣は改造に決した由 伝ふ」とある。ここでも独房生活のいたたまれない焦燥感がにじみ出ている。〝仁の人″と捕虜からも慕われていた中尉だっただけに、余計に気の毒だ。
そんな環境と心理状態の拘置所暮らしだけに、家族から待望の差し入れの小包が初めて手もとに届いた時の嬉しさは格別だった。
「一月十四日 月曜日 晴 毛布と靴下、足袋到着。待つこと久しき小包である。MPが見覚えのある赤い木綿の風呂敷包を持って扉を開けて立った時は流石に嬉しかった。早速布団の上に敷いて折り曲げて膝に掛け座って見た。暖かった。柔かった。夜も之で暖かく眠れる。寒さの為眼を覚すことも少なくなる。ぢっと座って思はず泣けて来た。靴下も昨日洗濯した時踵の所に穴があいてゐたので困ったと思ってゐたら、今日送って来た。しかもスキー用の厚い毛の奴。誠に有難い」
翌十五日の日誌には、待望の送られてきた毛布にくるまって寝た 〝昨晩″ は、初めて熟睡できたと記録。「一枚の毛布でこんなにも違ふものかと思った。嬉しかった」 とある。
さらにつづけて 「今日此の棟の各階から各十名宛第二号舎へ移転した。移転の理由ははっきり判らぬが大体、訊問された者は移って行くらしい。二階に居た野須軍医や羽間中尉も移って行った。僕も一回訊問が済んだから今度あたり移されるのだと思ふ」
「一月十六日 水曜日 晴 (中略) 十一日に一回訊問があった切り、後でまたやると言はれたきり今日まで何ともない。気懸りだ。(中略)僕の次に調べられた広島の森といふ人は大分あせって居る様だ。夜も眠れないと言って飯を残して捨ててゐるのを見た。勿体ない事をする人だと思った。僕なんか食っても食っても空腹で困るのに。
煙草が欠乏して来た。金鵄は二十一本残ってゐる。節煙して之丈は最後迄残さうと思ふが自信は持てない。先週火曜日に入浴してから丸一週間垢を落さぬので身体が汚れて来た。襦袢《ジュバン=肌着》等の洗濯せねばならぬが、入浴した時でないとやる気にならぬ。凍傷が快くならぬ。右手が左よりも悪い。五本の指が腫れ上って温まると痛がゆくてたまらぬ」
十七日には、新聞で北海道・室蘭の平手分所長の裁判が始まったこと、九州・大牟田の福原分所長の裁判が開始されることを知った、と記述。「昨日と今日、夕食に吊柿をくれた。甘かった」とある。
その翌十八日の日誌。「新聞に依れば津田傭人、次の裁判に廻る由。余も証人として立つ事と思はる。分所長、峰本、市場等の下士官を措きて津田が最初に裁判さるるは如何なる理由にや。解し難し」 テンポの早い戦犯裁判の進行の中で、日ごとにつのる〝わが身の不安″と〝旧部下への気遣い〟がにじみ出ている。壁と天井と鉄柵の小さな窓と対座する独房の暮らしが、いつまでつづくことか。〝恩師〟でもあり〝上司″でもあった中尉の、温顔にひそむ苦悩が伝わってくる。
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編集者 (代理投稿)