チョッパリの邑 (1) 椎野 公雄 <一部英訳あり>
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投稿日時 2007/4/28 7:38
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
(まえがき)
昭和九年生まれの私も今年で七十二歳、そろそろ後がなくなって来つつある。五〇年近くサラリーマン生活を送っていた間は、仕事、仕事で、自分の過去など振り返る余裕など全くなかっが、ようやく自由な時間も少しは出て、五人の孫に囲まれながら、「さてこれから何かを」と考えているうちに、もともと好きな「写真」や「芝居」、或いは「旅行」を楽しむのもいいが、少しでも役に立つのであれば、自分が経験したものを次の世代に書き残してみようか、と思うようになった。
かといって、「自分史」などは大仰《たいぎょう》で私の性に合わない。
そこで、このところ何となく不安な状況になっている近隣の国、特に私が子供のころ終戦を挟んで過ごした「北朝鮮」での生活を何とか書いてみよう、さすれば或いは興味を持って読んで貰えるかも知れないと思い立って筆をとることにした。
ところが、[本文]や「あとがき」にも書いたように、この地域の歴史や太平洋戦争の資料はたくさんあるが、肝心の「現地生活の資料」が日記もなければ何もない。ただ、私のかすかな記憶の端々《はしばし》を手繰りながら、後に両親から断片的に聞いた話を繋《つな》ぎ合わせる作業を始めてみると、特に後半の八月十五日以降が凄《すざ》まじい日々だっただけに、当時のことがまるで昨日のことのように甦《よみがえ》ってきて、不思議なほどすらすらと筆が進んでくれた。
もとより、この記録は興味のある方だけに読んでいただくつもりで書き記したが、若し当時の三井軽金属のご関係者(父・良之助、母・ふみ、と同年代の方はご存命でないと思われるが)、またはご親族の方で、私の記憶違いにお気づきになった時は、是非ご叱正《しっせい》、ご訂正いただければ、大変有難いことと思う次第である。
なお、「本文」の朝鮮の歴史は、武田幸男氏編・「朝鮮史」、太平洋戦争については、河合敦氏著・「目からウロコの太平洋戦争」を主に参考とさせていただき、一部引用させて貰ったことを付け加えさせていただく。
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編集者 (代理投稿)