@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

チョッパリの邑 (14) 椎野 公雄

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 チョッパリの邑 (14) 椎野 公雄

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/5/21 9:32
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 敗戦(天皇陛下の詔勅《しょうちょく=天皇の意思を表示する文書》を聞いた日)

 昭和二十年の夏休みは「前年に比べても暑いな」という感じで始まった。
 一年前は朝鮮での初めての夏であったが、厳しかった寒さを何とか過ごしきった後だったし、解放された気分で遊びにも忙しく、「暑い」と感じる暇もなかったという方が正しかったかも知れない。
 しかし、この夏は違っていた。
 ラジオから流れる各地の戦況や内地の空襲の様子は日を追って厳しさを増し、七月二十六日、連合国軍は日本に対して無条件降伏を勧告するポツダム宣言を発し、鈴本貫太郎内閣はこれを黙殺するとの声明を出したことが伝えられたものの、何か得体の知れない大きな力が、ひたひたと追ってくるような不気味さを感じずににいられなかった。
 この頃になると、現地朝鮮人から「日本は負けるぞ」との流言《りゅうげん=根拠の無い風説》が広がっているらしいと噂され、夏休みが始まるときの先生の注意は「むやみに街中へ出ないように」であったし、新義州《シンウィジュ 》まで汽車通学している中学生が嫌がらせを受げたとの話もあって、日本人の生活も次第に窮屈《きゅうくつ》になってきたのも事実であった。

 そんな事情もあって、私たちもできるだけ社宅内の空き地や学校の校庭で遊ぶこととなったが、何をしても前年のようには楽しめず、暑さだけを堪える毎日であった。
 そして八月六日、その日も朝から強い目差しで暑い日であったが、何時ものように半袖・半ズボンに戦闘帽《=旧日本軍が用いた略帽》を被って遊びに出かけ、昼食を食べようと帰ってくると、「広島に新型の爆弾が落とされ街は全滅したらしい」とのニュースが飛び込んできた。今まで見たことも聞いたこともない爆弾だという。
 「そんなものが何故?」と皆が呟《つぶや》くのには、「どうしてそのような爆弾が出来たのか」、「なぜ広島なのか」、「また何処かに落とされるのだろうか」と色んな意味が込められ、「いよいよ最後の時が来たらしい」との諦めの様子すら感じられて、子供心に何とも空恐ろしい気持ちにさせられていた。
 その三日後の八月九日、長崎にも同じ爆弾投下があったと聞くと、周囲の空気は更に重苦しくなって、「敗戦、朝鮮孤立」という言葉まで聞かれるようになっていった。

 八月十四日、会社からの通達で、明十五日正午「天皇陛下の玉音《天子(天皇)の声》放送」があるから、みな心して聞くようにとのこと。
 当時、各家庭にラジオはあって全ての情報はこのラジオで聞いてはいたが、真空管が古くなって聞き取り難いものも多く、「その場合は聞こえる家に集まって聞くこと」も付け加えられた。
 ある人は「陛下の玉音放送とはよくよくのこと。現状から考えても『ポツダム宣言を受諾』して戦いに終止符をうつのだ」、また他の人は「いや、日本には『秘策』があって、どんなことがあっても、それが成就するまで戦い抜く決意を表明されるのだ」、と意見がわかれながらも、「覚悟しなければ」という気持ちだけは同じだったのではないだろうか。
 勿論、正直いって私にはわからなかったし、気を揉《も》みながら十五日を持つよりなかった。
 そして、とうとうその日がやってきた。

 その日も朝から快晴、偶々《たまたま》私の家のラジオは比較的状態が良かったから、会社の人たち数人が「聞かせて下さい」と集まってきたので、ラジオを縁側に出しボリュームを上げて放送を待った。
 正午になり玉音放送は始まったが、もったいなくも天皇陛下の肉声を聞くのはみな初めて。帽子を脱ぎ、直立の姿勢をして真剣な面持ちで聞き入っているが、雑音が大きくて所々聞き取れない。
 「朕《ちん=天子の自称》深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑《かんが》み…朕は…米英…共同宣言を…する旨通告せしめたり…戦局必ずしも好転せず…時運の趨《おもむ》くところ…堪え難きを堪え忍び難きを忍び・以って満世の為に太平を開かんと欲す:」
 二〇分ほどの放送が終わり、暫くそこに沈黙の時が流れる。
 私には内容がよくは理解できないが、父や母、また集まった人たちも顔を見合わせながら、怪訝《けげん》な様子。
 暫くすると、夫々自宅で放送を聞いていた近所の人たちも家から出てきて、口々に「全部は聞き取れなかったけど、どうも戦争を終わりにしたいと仰ったみたいだ」、「苦渋《くじゅう》のご決断をされたということだろう」、「それにしても犬変なことだ。我々はこれからどうなるのかな」、そんな会話を交わしながら、暑い日差しの中を虚《うつろ》ろな顔をしながら所在なくうろうろするばかり。

 数時間が経って夕食時の会話は勿論これからのこと。日ごろから余計なことをいわない父もさすがに心配とみえて「凡《およ》その見当はついていたけど、やはりというしかないな。工場も閉鎖《へいさ》になると思うけど整理もしなければならないから、暫くは今まで通り出勤することになるだろう」と先ずは会社のこと。
 続けて、「周囲が騒がしくなると思うから、皆社宅から外に出ないように」また、「公雄は男だから、お父さんが会社に行ってる間に何かあったら、ちゃんとお母さんを助けてやってくれ」。
 「男だから」といわれても未だ五年生、「何かあったら助けられるのは僕なのに」ともいえず、「わかった」と答えるしかない。母も、「頼りにしてるよ」、いつものように明るく装《よそお》ってはいるか、穏やかでない様子が見て取れる。

--
編集者 (代理投稿)

  条件検索へ