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チョッパリの邑 (26) 椎野 公雄

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通常 チョッパリの邑 (26) 椎野 公雄

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/2 6:56
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 いよいよ計画実行

 あの忌まわしい八月十五日も過ぎて暑い夏も終わろうとする或る日、全ての帰還計画が決まったと伝えられた。その内容は
 (1) 出発は九月七日、単身派遣・技術者の一部を除く全員が二班に分れて先ず多獅島まで移動する。
 (2) 先発の第一班の出発は午前九時、第二班は二時間後の十一時とする。
 (3) 移動は各班とも多獅島の手前、龍岩浦《ヨンアムポ》の先の町まで工場のトラック五台に分乗し、その後は徒歩とする。
 (4) 二班が多獅島にて合流後、日の暮れるのを待って二隻の船に乗船し、南朝鮮・仁川《インチョン》に向かう。
 (5) 多獅島を離れるまでの行動は工場側がこれを保証し、警察も黙認することになっている。
 (6) 全ての行動は警察が黙認するとはいえ、関係者を除く現地・朝鮮人には知らされていないので、粛然《しゅくぜん=しずかに》と行動されたい。
 (7) 残留する技術者の身柄は、技術移転が完了するまで保証され、のち速やかに帰還させる。
であった。
 計画はまことに良くできていて、交渉当事者の苦労が目に見えるよう。
 この交渉に父がどのように関ったのか、南で解放されるまで何も言ってくれなかったからよく解らなかったが、「あの時は苦労した」と後で聞かされ、かなり重要な役目をしていたようであった。しかしながら極めて極秘裏に進められた計画であったと思われ、父のその後の言からすると相当な金銭が動いたと察せられる。  
 しかし、それをどのように工面したのかは父も最後まで言わなかったから、今もって解らないままである。
 金銭といっても、一年前に社宅を追い出された時、日本内地から持ってきて没収された家財道具のすべてを換算《かんさん》すればかなりの金額、当然これらも交渉の材料にはなったであろう。
 一部の人は、ある程度内地に分散残置したのかも知れないが、我が家の場合「必ず帰れる」と信じて刀剣類を含む骨董品まで全財産を持ってきていたから、彼らの余禄は大きかった筈である。そんな中で父が一番残念がったのは、梅原さんに渡した残りの「刀」と大事に使っていた「カメラ」数台で、後々まで「惜しかったな」といっていたところを見ると、よほど悔しかったのだと思う。従って若し父が交渉の一員であったのなら、その価値を当然の如く訴えたことは想像できる。
 一方彼らにしてみれば、当時の工場で作られるものは鍋《なべ》・釜《かま》などの生活財が主になっていたから、将来の生産計画は別にして、それらの製品を少量生産するだけでは労働力は過剰、家族まで入れると二〇〇人近くの面倒をみる余裕は工場にはなかったと思われ、また北朝鮮の行政としても我々を持て余していたことは想像に難くなかった。従って、これはあくまでも個人的な推測であるが、人員削減、将来計画支援に「金銭」を加えて解決しようとした日本人会の作戦は正解だったと思われる。
 しかしながら、この時の私たち日本人会の人数は、正確ではないが、この一年で病死した老人・子供、リンチで命を奪われた人たち、残留の技術者を除いても老若男女一八〇人ほどは居たと推定され、とにかく大きな集団である。この一団が若し無事帰還できたら「奇跡《きせき》」といえるくらいの大事業、「この地で犬死するよりはその奇跡に賭《か》けよう」と思ったにしても、交渉責任者は勿論、大人たちには大変な覚悟が必要であったに違いない。
 私自身も正直いって半信半疑、「まあ何とかなるだろう」とは考えたが、恐らく他の人も確率五割、上手く行って七~八割と思っていたのではないだろうか。
 特に一ケ月近く出発が遅れたことで、時たま黄海方面にもやってくることがあった台風が心配され、海上脱出に影響が出ないとも限らぬことであった。
 それにしても、「犬死するよりは」と覚悟して帰国する者はいいとして、残留させられる人たちの気持ちは「保証される」とはいえ、どんなに不安・不満だったろう。私たち子供ですら「申し訳ない」という気持ちがあったから、親達にすれば「申し訳ない」どころではなく、神・仏と手を合わせたい気持ちだった筈だ。
 そして出発の日が近づくと、どんな旅になるのか次第に不安が募ってくる。私もできるだけ良い結果のみを考えるようにしてその日を待ったが、さすがに前の晩は興奮《こうふん》して寝つきが悪かった。

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編集者 (代理投稿)

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